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潰瘍性大腸炎 その6

こんにちは。自己満足な毎日をすごしたいです。
今回は潰瘍性大腸炎シリーズその6。

その5まではこちらから👇

ストーマクローズのために入院したら、足首の血疱が破れて、ストーマ周りの潰瘍と同じようにほげた状態になってめっちゃ痛い😭 でも、タイミングはよかった🙄 なんたって入院中ですから🤭


そして初めてとも言っていい、予定通りの入院だった(潰瘍性大腸炎が増悪すると基本、外来受診して入院しようか、となっていたので😅)から、必要なものをきちんと事前に準備することができました☝️


大腸全摘のときはほとんど1日がかりの手術だったため、朝早くから準備して、待ち時間もなく手術室へ行ったんだけど、ストーマクローズって短時間で終わるみたいで午後からの手術予定になっていて、待ってる時間が長かったなぁ🤔

それと、ストレスでホルモンバランスも崩れたんだろうね。手術直前に生理になってワタワタしてた💦

そうそう😑
手術するときって、血栓防止のために弾性ストッキングっていう、きつい靴下みたいなのを履くんだけど、足首の血疱の痛みで履けなかった😱 結局、手術室入って麻酔かかってから履かせてもらったんだよね😵

ほんの数時間で手術が終わって、手術室内で一旦起こされるんだけど、まだ気管挿管されたままだから、口で呼吸しなきゃいけないのをすっかり忘れてて、いつも通り鼻呼吸をしようとしても呼吸できないもんだから、プチパニック😵‍💫 医療者から声をかけられて、あ💡そうだった☝️と思い出して落ち着きました(笑)

それから翌朝までは回復室なる場所で過ごすんだけど、全摘のときはあっという間だったのに、この時は長い長い😵 朝までが遠くてしんどかった😨


約半年ぶりにお腹に何もない生活に戻り、これまた予定通り退院して大学生活に戻っていきましたとさ👏


ところが…

えらいお腹痛くて、術後の受診のときに腹腔内膿瘍かなにかで再入院😭😨😵😱😩🥲😢😰😞😣😫
さすがになんでやねん🤬って思ったな😑

大学も4年になっていて、単位のことも気になるし卒論のことも気になるし、気が気じゃなかったの💦

結局どのくらいかな? 1ヶ月くらいかな?ようやく退院できて、最後の大学生活に戻れたんだったかな?


大学復帰してからはまあバタバタした😅

卒業までの期限があったからね🙄 専門学校のときに留年があったから、最悪それも考えなきゃかな〜と覚悟してたんだけれど、就職も決まっていたからギリギリまでジタバタすることにして、まあまあ頑張った👍


なんとか無事に卒業することができました🥳



この卒業までの半年ほどの間には、もうひとつ話があって。

自分は、繰り返した入退院によって生活や進路というところで影響をものすごく受けてきたけれど、それを言い訳には絶対にしたくなくて。勉強もまあまあ頑張ったつもりだし、サッカー⚽して楽しんでたし、言い方は不適切かもしれないけれど、普通に生活することを意識してた(無理をしすぎないということは頭にあったよ☝️)。そして実際に病気を言い訳にしてはいなかったの。

なのに、卒論のパートナーがインターンシップみたいなのをやめるために、別のきちんとした理由があるにも関わらず、自分の病気、入院のことを理由にしたんだよね。

それを聞いたときは、え?って思ったけれど、すでに言った後だったし、もう承諾するしかないじゃん? だけど、自分にはモヤモヤが残ったわけ。

卒業まではとりあえずモヤモヤしながらも関係を保ってはいたけれど、その後は基本会わなくなったな。

その話を社会人になって、気のおけない友人としてたら、あ、自分は傷ついてたんだ。怒ってたんだ。許せなかったんだって気づいた。

自分のために許すことが大切だと、いろいろな人が言っているし、そのメリットを頭では理解しているけれど、ここは譲れないんだろうね。10年以上経った今でも、ずっと引っかかったまま。でも、それはそれでいいと思ってる。

これからも自分は病気を言い訳にしていくことはないし、逆に利用されることは許せないってはっきり伝えるって心に決めた。


そんな教訓としての出来事。



短期間で起こった内容なんだけど、なかなか長くなってしまいました💦 いろいろあったんだな、と捉えています(笑)


さて、次がいつになるかはわからないけれど、次回はストーマクローズして社会人になってからのことを書いていきたいと思います👍


最後まで読んでいただきありがとうございました🙇


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