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温泉郷であるべき姿と場違いな自分

 日本で最も早咲きというあたみ桜の開花が2月上旬、2024年の今年はそのまま伊豆半島へ移動し、河津桜も撮ろうと伊豆急行沿いに宿を取った。
 都内から数時間で行ける温泉郷。海遊びが出来る夏を中心に、多くのメディアで観光が紹介されている。

 混雑を避けるために素泊まりをして早朝に出発する。いつもの工程だったが、初めて降りる駅はわくわくする。
 駅から海までの傾斜で作られる町は小一時間で回れるくらいの大きさで、コンビニもなく(温泉街と反対の国道沿いに1軒だけあった)駅前の売店は16時半で閉まる。
 昭和初期から半ばに建てられたであろう建物は老朽化が目立ち、ノスタルジックさが際立っている。
 飲食SNSアプリで検索したお店は夕方でほぼ終わり、活きの良さで評価の高い居酒屋とラーメン屋がかろうじて夜営業の準備をしていた。

 街ごと朽ちていく途中の過程を見ているようだ。

 冬はオフシーズンなのかなと人気のない海を眺めていると、煌びやかな電飾がぽつりぽつりと浮かび上がってきた。
 オーシャンビューの温泉旅館、良質な温泉と美味しい海の幸を内包して、朽ちるどころか訪れる人をただ甘やかすために余計なものを排除した空間だ.

 人の賑わいは、この温泉街にも失われずにいる。
 何もじない贅沢を浴びるための街だったのに、また私は自分の価値基準で「朽ちていく街」と勘違いをしてしまった。
 今度泊まりに来る時は、素泊まりではなく夜は懐石を堪能して、温泉に何度も入り、朝誰も起きていない町を散歩してから豪華なバイキングを楽しもうと思った。

 訪れる場所でも、人との関係性でも、相手側からみた自分が場違いで滑稽だなと思うことが最近とてもある。
 新しいものに触れる機会は年齢を重ねると必須でなくなってきてしまうから、見方を変えられる機会はとても有難い。

 譲れないもの以外は、柔軟に受け入れられる自分でありたいと思った。

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