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(かなり大事なこと)ハウスキーピングの対価は何か、おかあさんの正体、魔法のザクロ

パートナーに、ある漫画を勧められました。こちらです。

あさのゆきこさんの漫画(ZENONに掲載)

パートナー間のコミュニケーションの問題です。
いろいろ考えて、妻と話し合いました。
その内容は割愛。過去のお詫び分は今後取り戻していくしかないです。

さて、いろいろ考えさせることがあり、数時間それについて考えました。
漫画の本題とはかなりずれるかもですが、いわゆるダンナ目線の延長線上のその先、の話。(パートナーが求める解ではないです)

労働者の対価は給与、では主婦(夫)の対価はなにか

これがなかなか答えが出なかったのです。
感謝の気持ちを伝える?
怒られたらあやまる?
いえ、それでは足りない気がします。
多分専業労働者の自分は、パートナー(家事専業)と
同レベルには家事育児、その負担や重責について考えることができていないです。
それが対価として考えられるものかどうかわかりませんが、
一旦明確な違いとしての”対価”について考えてみました。
それはなんなのか。

対価の推測、仮設

外(在宅勤務も含む)で働く人は何かしらの対価を得るために働きます。
主に給与です。これがないと生活ができないです。

労働(業種業務ごとの様々な労働) →  主に給与、ほかには福利厚生など(税金や年金を会社に半分負担してもらうなど)

一方専業主婦(主夫)はどうでしょうか。

労働(家事、育児など様々な労働)  → ???

配偶者控除のためにいるわけではもちろんありません。
そもそも家事や育児の責任を負担するために
パートナーになったわけではない可能性もあります。

子供が小さければ、
自分一人でひとのいのちという重いものを持って守る、
労働というレベルではない責任の重い
(私がいうことではなく本人が思うことです)
かなりの労働を行いますが、対価はありません。
家族の感謝やねぎらいだけでは多分釣り合わないし、
では生活費以外で家庭内給与のようなもの
(例えば贈与非課税の年110万円を提供するなど)を
受け取れば納得できるかというとそうではないかと思います。

それは無償の労働であり、労働というよりもボランティアに近いような、でも違う。

いろいろ考えた結果、
「家族のための家事育児」の効用はあっても対価はない
というのが私が色々考えた結論です。
見返りがないということは、一見ボランティアに近いようにも感じますが、
家事も育児もボランディアで行なうもの(してもらうもの)
ではないと思います。
対価は基本的にない、というところだけ共通です。
ボランティアは困っている人、助けたい人を助けるものですが、
家族はそれとは少し違います。

一人暮らしで行う、自分のための家事に対価はあるのか。多分ない(実感できない)

自分が部屋を散らかせば自分で片付ける。
服は毎日洗う。自炊して食事をする。
外食したりハウスキーピング代行を頼まなければ
全部自分でやることで対価はない。

「お母さんがやってくれる」場合、お母さんの対価はなんでしょうか。
子供に対してはお母さんはやってくれるかもしれません。
パートナーはお母さんでしょうか。違います。

結論(仮説):そもそも対価はない。愛や感謝だけでは埋まらないなにか(喪失感に近いもの)がそこにある。

多分、私みたいなひとはたくさんいると思います。
愛や感謝はあるけど、伝えているつもりだけど、
それでは埋まらないです。
お金を稼ぎます、あとは頼みます、ではまったくだめだし、
いつもありがとう。愛してます。だけでも多分たりないです。

先日両大学さんの動画を見ていて、魔法のザクロの話がありました。
興味深い話です。その動画自体と、今回の話は全くリンクしないのですが、
魔法のザクロの半分をもらっている、と考えるとしっくりくるような気がします。
なので、対価としては、自分の魔法のザクロの半分以上を提供しあうのが、
唯一の対価になるのかな、とも思います。
あたえるとなくなることに意味があるのではないと。
お互いの半身ということ。

お金や気持ちだけではない、もっと大切な何か、を提供しあうことが必要なのだと思います。
これが一旦の結論です。でも結論は出ていないです。

はい、今日もいい天気ですね。みなさま良い1日を!

追加:ちょっと違うけど、魔法のザクロ(動画は投資やスキルアップ寄り)


動画やその話が載っていたブログを貼りましたが、動画は今回の話とはかなり雰囲気が違いますね。でも大事なところは、与えてなくなるよ、ってところです。


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