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心の余白の貸し借りができたら



心の余白の貸し借りができたらいいのに、と思う。

頑張りたくて頑張っているんだけど、
どうしてもしんどくなってしまうときがあって、逃げ出したくもないんだけど、弱音を吐きたいときがある。
そんな時、アンパンマンが自分の顔をちぎって分けてあげるみたいに、
わたしの余白、もしよかったらどうぞ、って。

みんながみんないつでも心の余白を持って生きているわけじゃないから、その都度その都度足りない人は余っている人から分けて貰えばいいと思う。その時はお返しなんて気にせずに甘えて懐に潜り込んじゃえばいいと思う。

大丈夫?なんて聞けなくて、
頑張らなくてもいいよ、とも言えなくて、
お節介かもしれない、と様子を伺う。
だから、ただそこらへんにいるよ、ということしか伝えられない。
凄くもどかしいんだけど、ただ存在を示してあなたの潜り込むスペースを空けておくことだけが今の私にできることかな、とぼんやり思う。

あなたにとってわたしは血の繋がった家族でもなければ、昔から一緒にいる大親友でもない。
でも、何でもないただの第3者だからこそ、ただそばにいるということができるのかもしれない。

このnoteだって届いて欲しい本人には書いたことすら伝えられない。もどかしい。
読んでいるかすらもわからない。意味なんてないかもしれない。
でも、もしかしたら届くかも、という希望にかけてこのnoteを書いている。

それはもはや、祈りに近いのかもしれない。
祈りの色が見えたらいいのに、と思う。







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