見出し画像

正義感という皮をかぶり、安全な場所から誰かを裁く人たちに思うこと。

世の中には「誰かを裁きたい人」が多いようだ。

SNSで「炎上」騒ぎを見ていると、ただ意見を述べているだけなのに、「◯◯がかわいそうです」「そうじゃないひとに不親切です」など、断定するようなコメントが多いこと多いこと。

そこに至るまでの流れがあるのに、たった一部分を切り取ってああだこうだと部外者が騒ぐ、というのにも辟易。

それに乗っかり、さまざまな人が野次を飛ばす。「ガッカリしました」とか、勝手に期待しておいて勝手にガッカリするという方もいらっしゃる。

発言者の意図や背景を知らないまま、「正義感」という無敵っぽい鎧を着てしたり顔で発言者を成敗しにかかる。これって何だろう。

だいたいの場合、正義の仮面をかぶった裁き主は匿名性をもって叩きにくる。安全な場所から叩いていれば、自分には火の粉はかからないもんね。

コロナ禍のとき、飲食店への営業自粛の要請が出た際、営業しないとやっていけないからなど何かしらの意図をもって営業した店がテレビに取り上げられ、そのお店がイタ電だのひどい暴言を書いた張り紙だのをされたりとひどい目に遭ったようだ。人んちにイタ電する、落書きするって、それがどんなに恥ずかしいことかわかってやっているのか。自分がやっていることが正しいと思ってやっているのかね?自分に何の迷惑もかかっていなくて外野なのに、それを「正義感」でやっていると思い込んでいるならもう本気で狂っているなと思う。

マスク奨励もそうだった。テレビはマスクをせずに街を歩く人ばかり映し「マスクしてませんね」と騒ぐ。殺人事件があるたびに、犯人の情報を根掘り葉掘り探って憶測でものをいう。悪者を見つけてさあ叩こうとばかりに盛り上がるのは本当にうんざりだ。

叩いて相手が潰れたら、一件落着。
自分が相手を叩いたことなど忘れて「悪者を成敗した」とでも思っているのだろうか。悪者を吊し上げている素晴らしいヒーロー、ともすれば匿名性をもったスパイダーマンみたいな街のヒーロー気取りなのかもしれない。

しかし気づいてほしい。

自分にたいして関係もないくせに被害者ヅラで「これはひどい!」と陳腐な正義感で吊るし上げ、叩いている相手こそ被害者ではないのか。顔を隠して安全な場所から寄ってたかって石を投げるという行為がどれだけひどいことであるか、そして人としてどんなに恥ずかしいことであるか?という想像が欠けてはいないか。そもそも大の大人がやることですかね。結構やってる人多いけど。

わたしはこういうことに加担をしたくない。ほとんどの問題は当事者同士で解決すべきことだと思うし、部外者が口を出すことではない。また、とりあえずみんながひどいと言ってるからと一緒になって石を投げ、その割に「わたしは知らない」と知らんふりをする無思考の野次馬にもなりたくない。

できるだけ冷静に、その都度自分の起こすべき行動を考えて行動したいと思っている。信じられないこと、汚いなと思うことは世の中にたくさんあれど、わたしは自分のことを好きでいられる自分でいたいし、自分の価値観に照らし合わせて、恥ずかしくない自分で生きていきたいと思う今日この頃だ。

「心に響く」文章で思いを届けます!
塩辛いか乃の提供メニュー・お仕事ご依頼はこちら



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?