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気ままに生きてる話

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日常でふと考えたこととか、ちょっとした生き方めいた話とか。
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記事一覧

リトルモスキートン‘24

――1:30 Am 蒸し暑さも増してきた初夏の日の夜中、寝ている最中にふと目を覚ました。それ自体はまあ、毎日よくあることだ。一寸ひと息ついてからまた眠ればいい――が、この時は様子が違った。右手の人差し指の先と、左の肘の近くが妙に痒い。痒みに気付いた時点では見た目に異常はなかった。しかし用を足して寝室に帰ってきた時に再び手と腕に目を走らせると、痒みの発生箇所つまり痒心地とその周囲が円形に腫れ、皮膚が盛り上がっているではないか。これは……拙い。  過ぎ去った時とともに存在を忘れ去

風にたゆたうマインド

 五月十六日、朝から風が強い。がたがたと音を立てる建具のやかましさに朝の五時前には目が覚めてしまった。けれども夜中に目を覚ましてトイレに立った記憶がないから、いつもよりかはよく眠れていたのかもしれない。ここ最近はかなり早い時間からきちんと寝る態勢を整えて眠るよう心掛けているが、中途覚醒なしで朝を迎えるのはなかなかめずらしい。  早く起きたら起きたでやりたいことはいくらでもあるといえ、その後に仕事が控えているとなるとあまり根を詰める気にもなれない。職種や業務の違いはあれど、とに

誕生日の記事にまだ時々🩷がもらえるのでなんでだろうと思っていたら、 『心に残ったゲーム』のお題で上のほうにいるみたい。ありがとう(´▽`)

冷めた珈琲と誰かのハート

 何年振りかに五月にマトモな連休をとることができ、ずっと作業でウチにこもるのも少々勿体なかろうか、などとちょっとしたドライブがてらにランチに出かけたのがゴールデンウイークも終わりに近づいた某日の話だ。といっても特に目新しい所を探すでもなく向かったのは有名チェーン店、名前はコメだが主に出てくるのは珈琲とパンのあのお店である。ただ、市内にある車で20分くらいのところではなく、時間でいえば倍くらいかかる隣の市のお店のほうが、どちらかといえば『行きつけ』なのは変わっているといえば変わ

戦略的リラクゼーション

 一月が行き、二月が逃げ、三月が去り、四月も疾風の如く終了して五月がやってきた。月ごと年ごとに早い早いと言っている気がするが大抵の場合は過ぎ去ってからそう感じるもので、何かに取り組んでいる状態でのひと月は終わるまで、取り組んでいる何かが成されるまでが案外待ち遠しく思えるものだから人間の感覚も結構あやふやなものなのかもしれない。ま、それはさておき。  そんな話をするからには続けたことがあったんだなコイツ、と思ったそこのアナタは優れた観察眼をお持ちで、まさに先月(4月)のあいだ目

今年もバースデイ

 さて先日また年を取った。とくに年齢非公表ということでもないが、誕生日のたびに『ファミコンと同じ年の生まれ』だと言っている気がするので、だいたいそのくらいだと察していただければありがたい。さすがに0歳児でゲーム機を買い与えられることはなかったものの、3歳のバースデープレゼントとして、当時発売されたばかりの『ディスクシステム』とともにファミコンを与えられたと記憶している。というかまだ残っている。  ディスク読み込み用のベルトはおそらく経年劣化で傷んでいるといえ、本体自体はファミ

普通にナイスデイ

 エッセイ的なものを主なジャンルとして日々書き連ねていると、ときどき困ったことが発生する。いや別にエッセイ的なものでなくても似合たような状況に陥った人はいるかもしれない。『大したネタがない』という、明快であるがゆえに切実な、何とも打破しづらい状況……。  特にサラリーマン業で変哲ない日常業務に従事しているとその傾向は顕著で、職場が多少変わったところで社外秘はどこにでもあるし、そもそもそういう話は誰も興味がないだろうから書かない、とは何度か言ってることでもある。何かこう、製造業

あるのかないのかダイアリィ

 今日はまた体調がよろしくなかった……といっても職場の付き合いに臨んでのことだから、いつものロンリー不摂生とはちょっと違うよ、ということにしておこう。誘われないと行かないものの誘ってもらえるのはありがたい話なので、たまの酒宴も悪くない。ちなみに飲みすぎてもひどく調子が悪くなるだけで奇行に走ったり記憶が飛んだりしたこともないので、すべてを忘れるためのツールとしては酒はあまり効果がないようだ。ま、何事もほどほどがいちばんなのだろう。  元気がない時にすること、というかできること

気分リフレッシュ

 たまの休日、といっても計画を立てて何かすることはほとんどない。人に会わずに、日によってはウチから一歩も出ずに一人で何かしら没頭しているのが好きだし、それにしたって明確に順序を決めたりもせず、ひたすら気の向くまま、アレしたいコレしたいと思った順に手を付けていく。いつだって予定は未定、未来は不定である。  二日続いた休日の一日目はとにかく記事を書いていた。他のこともしなかったではでないがメインはnoteで、途中まで書き進めていたにもかかわらず仕上げるのにはほぼ丸一日かかってしま

サヨナラだけが人生さ。

 四月九日午前七時、雨が強い。ついでに風まで強い。ついこのあいだ咲いたばかりの花にとっては早すぎる桜雨、ここ数日はすっきり晴れた日も少なかったために、花見気分もいまひとつパッとしないまま荒天とともに見頃が過ぎ去ろうとしている。儚いったらありゃしない。近くに小川でもあれば風に散って舞う花弁と水の流れに揺蕩う花弁とのセットでより風流を感じられようが、残念ながら樹の近くには道路しかないため、落ちたそれは人や車に踏まれるばかりである。やっぱり儚いったらありゃしない。  花に嵐のたと

お部屋リフレッシュ

 昨日から今日にかけて、結構な時間を割いて部屋を片付けている。といっても大抵のモノは置き場所を決めているし、パッと見てものすごく散らかっている、という印象もおそらくない。では何をどう片付けているのかといえば、パッと見ただけでは変化が分かりにくいところ、書類棚に収納してある書類だとか、小物入れの中とか……そういったところから、時間とともに置いとく意味がなくなってきたものをとにかくポイしている、といった具合だ。  年に3枚か4枚ずつくらいのペースで徐々に増える、その瞬間には確かに

去った弥生を振り返る

 ふと気がついたらもう4月になっていた。ウソだろちょっと前まで雪降ってたじゃん、まだ気分としては2月の後半くらいだよ、なんて無茶な嘆き方をしてみても年が明けてからはや3カ月、一年のだいたい25%が過去の彼方に消え去ってしまったのは紛れもない事実で、ここからチキューの動きを止めたり公転軌道を遡ったりもできない。なんなら今年はうるう年であるから例年よりも一日多かったはずだのに、時が過ぎていくのはやっぱり早い。  相も変わらずそんなに大したことはしてないしこのnoteにもそれほど

風のうつろい

 昨日からの雨が止み、空のうなりが収まると、肌をすべる風に一段と温もりが感じられるようになった。三寒四温などと言いながらも、実際のところは三寒一温三普通、くらいの感覚で一向に過ぎ去ろうとしなかった冬の、その名残のような冷たさもようやく融けて消えたようだ。やわらかく降り注ぐ日の光が、それまでの鈍色がかった景色に慣れていた両の目に眩しい。また陽気というのは種を問わず活力を与えるらしく、季節が違えば見向きもされない路傍の草さえもが小さく花を咲かせて、彩りを添えている。  自動車の窓

半無自覚のルーティーン

 さて日々の習慣と言われて何が思い浮かぶだろう。毎朝のラジオ体操第一もそうだし、月に一度は近くの神社で手を合わせてみたりだとか、ちょっと前に書いたトイレ掃除の話なんかも、それを定期的に行っているという点では習慣だと表せなくもない。あとは『夜寝て朝起きる』というのも、ある程度の期間それができない状態が続いた身にとっては大変ありがたい健康的習慣だと述べておきたい。当たり前と思われる行為も実は習慣のひとつではないか、という観点から言うなれば最たるものはやはり呼吸だろう、寝ても覚めて