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普通にナイスデイ

 ッセイ的なものを主なジャンルとして日々書き連ねていると、ときどき困ったことが発生する。いや別にエッセイ的なものでなくても似合たような状況に陥った人はいるかもしれない。『大したネタがない』という、明快であるがゆえに切実な、何とも打破しづらい状況……。
 特にサラリーマン業で変哲ない日常業務に従事しているとその傾向は顕著で、職場が多少変わったところで社外秘はどこにでもあるし、そもそもそういう話は誰も興味がないだろうから書かない、とは何度か言ってることでもある。何かこう、製造業でも特別な一品モノを作っただとか、外まわりで特に興味を惹かれる人に出会ったりなどすれば書き物にもなろうが、たとえば一山いくらで時として『雑品』などして他のモノとひとくくりにされるような物品を作っていた頃の話をしても、今以上に疲れたしんどいだの生活が不規則でやる気出ないだのといったカナしい過去しかたぶん出ない。そんな記事モノに誰も興味はなかろう。

 きてるだけでスバラシイ、諦めるにはいつも早い、自分を信じてポジティブに心動く方へ、というのはまあ同意するにしても、そうして導かれた結果として『そこまで大したことは起きない』という日もままある。残念ではないにしろ記事を書く身としてはちょっとばかり物足りない。人間誰しも現在進行形で未来へと進んでいるのだからムカシの(どちらかといえばあまり思い出したくない)思い出ばかり語るのも不毛といえば不毛ではないか。
 過ぎたことは過ぎたこと、積み重ねた先に今の自分がありつつも今の自分は今この瞬間にしかいない。グッバイ1秒前のオレ、とか何とかもっともらしい理由めいたものを並べ立てても、実際のところはあんまり過去や、その時の事象に関わっていた人のことを書いてしまうと身バレしてしまう可能性が無きにしも非ずということでそいつはちょっと避けたいのが正直なところだ。どうせカオや名前が出るなら、良い事に関わった結果の方がよろしい。

 ンメイとやらも時代も、世の中のモノはたいてい動き流れている。流れをうまく乗りこなして変化を楽しむのがポジティブなら、ネガティブは何とかしてその場所に留まって、悪いなら悪いなりの安定を確保し続けようとする力かもしれない。流れにあえて逆らおうとする力なのだからそれはそれで強いはずで、それだけの力があるなら探し物が見つけにくいからって早々に現実逃避して夢の中でダンシングするよりその夢かき集めて現実ってフィールドで探しに出ようぜウィーアー。踊るのは正しく疲れてからで十分じゃないかウフフ。無いものねだりを続けるよりかは自分で作っちゃった方が話が早かったりするもの、自分の中に何かが『無い』のを事実として肯定し続けるより、事実に見えている部分を一度疑ってみた方がすんなり事が運ぶかもしれないしさ。

 識高い人たちがこぞって言うように、どう転んでみても結局人生一度きりだ。本当は第二の人生なんてありゃしないとみんな知っている。それならまあ、なるべくポジティブに進んで最終的に『いい人生だった』で終えたいのがにんげんのサガじゃあなかろうか。無味乾燥に思える日々にもちゃんと意味はあるのだよ、などと、今や使われすぎてコレ自体が無味乾燥になっちゃいないかと心配な言葉で締めくくりつつ、でもやっぱり大したネタは転がってねえよな、とか思いながらいつもと似たような話して終わる今日このごろ。

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