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ママのこと 9

 大変ご無沙汰しております。

今日私は、大都会のシェアオフィスに来ています。
「一日無料トライアルチケット」なるものをいただきまして。
世界各国の言葉が飛び交い、PCを打つ手が止まらないビジネスマンの皆様に
囲まれておりますとなんだかポンコツの私まで
「シゴデキ」になった気分になっております。

そう、昔からカタチから入るタイプです

ママがお店を始めた頃
私は児童劇団に所属することとなりました。

ドラマや舞台で役をもらうためには
オーデションに合格しなければなりません。

当時の人気子役は
おめめぱっちりのお人形さんのような美少女
→ワタクシ ゴリゴリの一重瞼のお菊人形
身長低めの童顔(実年齢より下を演じることができるので)
→ワタクシ なぜかこの頃よりニョキニョキと身長が伸び始める。

そしてステージママの存在
ほとんどの子役の皆さんはお母様がどこの現場にも
付き添われていました
ワタクシの場合、ママはステージママたちの圧に耐えられず早々に離脱。

このスペックではなかなか結果は出ませんでした。

また、とあるオーデションでの話。
設定は理由も分からず数日間学校をお休みしていたクラスメートが登校、
「○○ちゃん、どうして学校来なかったの?」と声をかけるシーンでした。
私は他に人には聞こえないように小さな声で話しかけました。
当然、監督さんから「聞こえないよ、もっと大きな声でもう一回」と
言われましたが、次は耳打ちをしました。
監督さんに「どうしてそんなことするの?」聞かれ
「もしかしたら、あまり人に聞かれたくないことかもしれないので
小さな声で聞いてます。」と答えたら大笑いをされていました。
が、そのオーデションは不合格となりました。
付き添っていた叔母には「落ちるなんて恥ずかしい!」と、叱られましたが、
ママは笑って「それはね、小さい声で話して見えるようなお芝居をすれば良いの。
本当に小さい声じゃなくて良いのよ」と教えてもらいました。

そんなこともあり、半年後にはオーデションに合格するようになりましたが
私がオファーされる役といえば
・病気で死んでしまう役
・母子家庭で貧困にあえぐ役
・有名政治家の妾腹で誘拐されるも殺される役
・金銭トラブルで一家惨殺される役
と、かなり偏ったものばかりでした。

特に一家惨殺の役は当時の朝の情報番組の
事件を取り扱うコーナーの生放送の再現ドラマという
今では考えられないものでした。
朝の清々しいお茶の間に
私の「やめて!おじちゃん、痛いよ!死んじゃうよ!いやー!」
放送事故決定の絶叫が響き渡ったのでした。

この撮影の後、こんな役をやらされた私を気の毒に思ったスタッフさんが
(役に入り込む北島マヤ系の役者ではないので、ノーダメージなのですが)
なんと歌番組の公開録画の最前席を用意してくださり、
百恵ちゃんとフォーリーブスの生歌を堪能するという超ご褒美をいただきました。

ある日、エキストラのお仕事に行きました。
土曜16時からの30分番組。新人歌手が毎回5組ほど出演、
それを小学生50人が「売れる」と思ったら○の札を
「売れない」と思ったら×の札をあげ、その週のナンバーワンを決める
というバラエティ番組でした。
そしてランダムで選んだ子供達にインタビューし、忖度のないコメントをさせるのです。(今思い返しても面白い番組だと思います)
その日の出来事を「あの二人組のお姉さんはね、絶対売れると思うの!
歌も上手いけどダンスの振り付けが面白いの!真似したくなっちゃう」とか
「有名な歌手の息子さんだって言ってたけど、すっごく優しくて礼儀正しい素敵な人だったよ」と、感動冷めやらぬように話す私を見て
「じゃ、今度はあなたが思ったことをインタビューでお話しするといいよ」と
アドバイスされました。
第2回目の放送でもエキストラで呼んでいただけたので
インタビューの時は聞かれてもいないのに挙手をして
自分の感想をお話しすることができました。
そして、次回の放送から私はレギュラーコメンテーターとして
番組終了するまで出演することとなりました。
そのおかげもあり、
ワイドショーのちびっ子レポーターとして
台本なしの生放送のお仕事がメインとなりました。

面白バラエティ子役として認知され始めた頃
朝ドラのオーデションの受けることになりました。
ここで色めき立ったのはママです。
朝ドラ好きなママは他のステージママとは違う戦略にでたのです。
舞台は終戦直後の北陸、山奥の分校の生徒役です。
ママは私の腰まであった長い髪を切るように勧めました。
乾かすのも面倒で何もこだわりのなかった私は
当時の子どものようなおかっぱ頭でオーデションを受け、
見事合格することができました。

うん、ここでもカタチから入ってます。

しかしこの役も
戦争で父を亡くし家族を守るため芸者になる小学生の役でした。
評判が良かったのか当初の予定より子役の出る期間が伸び、
私は近所のスーパーに買い物に行くと
見知らぬお婆さんから
「あんた、偉いね親兄弟のために芸者になるなんて
(もうこの時点でお婆ちゃん泣いてます)
これ、少ないけどお小遣い、もらってね!サインもちょうだい」
とお声をかけてもらうようになりました。

あの…ほんの一瞬なのですが日本の名子役トップ10人に選ばれ
手塚治虫先生と共演させていただいたこともあります。
ほんの一瞬ですけどね。ごめんなさい!自慢です!

この朝ドラに出演したご縁から
私はあの有名な学園ドラマシリーズの生徒役になることができました。

その時の生徒役だった仲間達とは
40年以上経った今でも親しくさせていただいています。

スキルとか
スペックとか
いつまで経っても、自分自身で納得のいくものなど
得られないような気がしています。

だからこそ、まずはカタチから
飛び込んでみるのが 大切なんだと思うのです。
















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