応援してやってるんだという意識は養ってやっているんだという意識と同じ~ファンの品格~

最近、自分の推しが自分の意志に反することをすると、猛反発するファンが多い

ファンだからなんでも許せ。というつもりはないけれども、推しだからこそ、推しの言動や考えを優しく見守ってあげれないものか
と不思議に思う

私たちはお金を払ってやっているんだから
というコメントを見かけた時には
嫌悪感さえ覚える

なぜなら、そこには
「お金を払ってやってるんだから
私の好きにできるでしょう?」
という
まるで父親が(今は父親に限らないけど)
「誰が生活費を払ってやっているんだ」
という昭和の束縛甚だしい人間の思考が見え隠れする

「お金を払ってやってるんだから!!」

なんて、自分が好きでやっている事なのに。
そんなこと言うなら、払わなくても結構
とでも相手に言わせたいのか?

それは困るので、何でもいう事を聞きます
と言ってほしいのか?

それでは、お金で相手を縛ることになることに
気が付かないのか?

推しだって人間だもの
色々なことを考えたり
悩んだりしていると思っている

そこにお金を出すのは
私達自身も、そのエンターテーメントや
サービスに満足感を得ているからで
そのサービスが嫌なら
とっとと離れればいい

お金を出しているから
自分の好きにしていいとか
自分と同じ考えでいてほしい
は、なんか違うんだよな・・・


お金はあくまでも対価でしかない

私達は推しからたくさんの愛を
受け取っている

その対価として
お金を払わせていただいている

ライブに行けば
グッズを買い

それでもグッズが気に入らなければ
買わなければいい

ライブに行っても
いい席じゃなくても
その空間にいられることが
幸せだったし、楽しいはずなのに
いつしか、ライブは
「近くで見る事」
が優先される

だったら、高いお金を出して
いい席を買えばいい

全てのアーティストが
そういう席を作ればいい

ただ、歌声を聞きたい人は
一番後ろでもいいだろう

顔を見て、微笑んでほしければ
それだけお金を積めばいい

若いファンがいるアーティストが
それをしないのは
やはり、そうすることで
金銭格差が生まれるからという
配慮だと思うのだ

それでも、抽選の座席に文句をつける人がいる

当たり前のように
ライブに行き
当たり前のように
推しの顔を見れるように
なったからかもしれない


自分が当たったそのチケットの裏で
チケットすら当たらなかった人の事は
考えもせずに・・・


推しはあなたの所有物ではない

たかがグッズを買ったぐらいで
その人の人生を握ったような
気になっているのなら、
少し冷静になった方がいい

私達は推しから夢を買っているだけなのだから

自分の推しのファンがライブ後に
ごみを散らかして帰ったり
SNSで暴言を吐いたりするのを
見るのは忍びない

せめて、届かないかもしれないが
ファンの品格をもって
「やっていい事」
「やってはいけない事」
の区別ぐらいはつけてほしいと切に願う

最近は、
SNSで直接、コメントできるようになった
推しが自分のコメントを見る機会も増えた

だが、自分のその言葉で
励まされもするけど
傷つきもすることを
忘れないでいてほしい

私達には推しが見えている
でも、推しからは私達の姿は
見えていない
それがどれだけの恐怖か
想像してほしい
見えない人からの
心無い言葉が
どれだけ深く相手を傷つけるか

それを自分がされたらどう感じるのか?

SNSは距離が近いだけに
相手との距離感を誤ることがある

自分の言動に責任をもって行動したい

私は何を言うか、よりも
何を言わないかを心がけている

今一つ、ファンの品格を取り戻していただきたい

そして、
推しとファンとで
優しい世界を作り上げていってほしい

推しはいつまで推せるかわからない
明日、急に引退するかもしれない
明日、急にいなくなるかもしれない

今回、ライブに行けることが
来年あるとは限らない

だから、声を大にして言う

「推しは推せるときに推しておけ!!」


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