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ゆかりごはんはみどりじゃないちゃん

白い割烹着、もこもこの帽子。黒板の前に赤い台。廊下から持ってきた配膳台だ。小学生が8人。食器とおかずとごはんを配る。ゆかりごはんが出た日にはかならず、「お〜い、ゆかりごは〜ん!」って言われる。

私の名前は、「寺田縁」。

この名前、一発で読めた人は今までに2,3名しかいなかった。

幼稚園バス、子供会、クラス替え、水泳教室、表彰式。点呼の度に繰り返されるやり取りは、「みどりさん」「あ、ゆかりです」

そんなやり取りを何度も繰り返したせいか、はたまた元からの性質か、わたしは自分の名前にあんまり執着がない。

ある日、こんな出来事があった。高校生の終業式の表彰の時間だ。例のごとく名前を読み間違えられたわたしは、同じく名前を読み間違えられた友達に、「名前間違えられてたね〜」と声をかけた。

そこで返ってきた言葉は、「言わんでよ。ショックやったっちゃけん」

自分にとって名前を呼び間違えられることがあまりにも普通の出来事になっていたのだが、そのときふと気がついた。普通、人は名前を呼び間違えられるとショックを受けるものらしい。わたしが持つ自分の名前に対して持つ感覚は、どうやらちょっとずれているようだ。

自分の名前なんて、自分が呼ばれていることが分かればなんでもいい。

わたしの名前はゆかりごはん。わたしの名前はみどりじゃないちゃん。

おいしいごはんたべる…ぅ……。