寺田 縁(てらだ ゆかり)

スーパーでおばちゃんたちにかわいがられて、後天的末っ子気質をゲット!

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  • パソコン仕事の備忘録

    日々パソコンで作業をする中で直面するトラブルや不便さについての備忘録。 自分用メモも誰かの役に立つかもしれないと、公開します。

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  • 雑めしシリーズ

    ご飯は作り方雑でもおいしいよ!気楽に自炊してみよう。面倒くさがりの雑なめし。レシピをつぶやいていきます。ちなみに、初心者が上手に料理するコツは、レシピ通りに作ること。そのうち自然と、この料理にこの食材足したらおいしいかも!とか、この食材とこの食材あったらあの料理できるな!とかわかるようになってくるので、それまではレシピ通り作りましょう。

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変人として生きる気楽さ

人とおなじじゃないわたしは、普通には生きられなかった。普通には生きられないわたしは、さらに人とは違う自分になった。そういう人は、下手に馴染もうとするより、自分は変人だ、と腹を括ってしまえば自由に楽に生きられたりする。そんなわたしの、昔のはなし。 お茶と先生と言葉あそび私は変人であり、真面目でもあった。物心ついたころから。 一番古い真面目エピソードは、幼稚園の年長さんの頃。 お昼ごはんの時間は、自分のコップに先生がやかんからお茶をついでくれていた。その時に「『お茶ください

    • 【備忘録】ムームードメインからWIXへドメインを移管する方法

      ムームードメインでのドメインの期限切れに伴って、サイトをWordPressからWIXへと移すことにした。そのために必要だった作業の備忘録である。なお、メモ・リンク集程度の内容であることをご理解いただきたい。 1.WIXは、1つののサイトに複数のドメインを設定できる今回は、サイトのドメインをそもそも変更したかった。 それに加え以下の理由から、過去のドメインも取得し新設のサイトにリダイレクトできるよう、WIXで管理するサイトに複数ドメインを接続することにした。 いままで使用し

      • ばあちゃんちとテレビの懸賞の電話

        「5555」 4つの番号が読み上げられる。 テレビの前で白いプッシュ式の固定電話の受話器をあげ、いとこが電話をかける。すぐに受話器を置いて、またかける。 夕方5時ごろ、母方の祖母宅の居間。 首振り機能つきブラウン管テレビの中で、ばあちゃん家の電話番号の末尾4ケタと同じ数字が読み上げられたのだ。 その内、いとこは食卓のある部屋で、ばあちゃんはテレビの部屋で電話をかけ始めた。 当時の自宅から歩いて20秒、大人が通るのは少し憚られるような、コンクリート固めの細い道を通ると、

        • 誕生日ディナーに行ったはなし。ただの日記。

          今日は誕生日だった。 日々最高のパスタを求めてイタリアンで外食を重ねる我が家族が十数年ぶりに出会った、スープとパスタの美味しいお店。そこでディナーを食べた。 2ヶ月くらい前に見つけて、その帰りに今日の予約をして帰った。 今日も相変わらず、コースの全てと追加で頼んだアラビアータとお酒が最高に美味しかった。誕生日のデザートプレート(花火が刺さっていた)を持ってきてもらえた。バースデーソングがかかった瞬間、「私のやん。」と思ったので、「これ、わしやないかい。」と言った。 そのあ

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          カルボナーラと、ドイツのスーパーマーケット

          ある日の16時ごろ、カルボナーラを作って食べた。天神ビッグバンで新しくオープンしたランドマークの美味しそうなカルボナーラが、ずっとテレビで流れてくるから食べたくなって。 フライパンを傾けて、すみっこに溜めたオリーブオイルに潰したニンニクを1片。そこに、短冊型に切ったベーコンを入れる。阿蘇に行った時に買った、美味しいやつ。いい香りがしてくるまで待つ。 その間にお湯を沸かす。鍋いっぱいのお湯に塩をドバッと。舐めてもしょっぱすぎないけどスープのように飲むにはちょっと濃いくらいの

          カルボナーラと、ドイツのスーパーマーケット

          やめるときもすこやかなるときも時を共にしたユニクロは、ダサいころから今でもずっと、いちばん近くにいるともだち。

          選ぶ洋服には、自分らしさが現れる。私はどんな色がすきで、どんな価値観を大切にしていて、家庭環境はどうで、経済レベルはどうで、どういう風に見られたくて、どんな人に褒められたくて… かくいう私の人生は、ずっとユニクロと共にある。小学4年生の頃、はじめてユニクロに出会ったころから。 病めるときも、健やかなるときも、ダサいときも、おしゃれなときも、摩擦が布を分かつまで、それなりにラフに、それなりにフォーマルに、愛してきた。 そんなわたしの、人生のお話。 めずらしくすんなりと学

          やめるときもすこやかなるときも時を共にしたユニクロは、ダサいころから今でもずっと、いちばん近くにいるともだち。

          「お金」はなんの対価か。~蟻地獄の底に囚われないために~

          「お金」をもらえる理由は、ほとんどの場合、「何かを提供した対価として」である。そうして「何かを提供した対価として」お金をもらう行為を、多くの場合、「仕事」とか、「働く」とか呼ぶわけだ。 では、「一体何の対価としてお金をもらっているのですか?」と問われれば、疲弊、消耗して働いている人たちは、「我慢の対価として」、最前線で道を作る人や、面白いことしてる人たちは、「価値や意味のあるものを提供して得られる対価の一部」と答えるのではなかろうか。 こと自分に関しては、非正規雇用労働者

          「お金」はなんの対価か。~蟻地獄の底に囚われないために~

          君をそこから連れ出して

          今は遠く離れた愛おしい感情も、時を越えて蘇る。昔よく聞いた音楽は、あの日漂っていた空気をそのままメロディの中に閉じ込めて、たまにふとその曲を思い出したときまるでタイムカプセルの蓋をあけるように、あの日の私が息を吹き返す。感情も、目に映った景色も。 天神の夜道を歩く23時。春吉でジャズライブを見た後、なんだか名残惜しくて、街を歩いていた。新天町に美味しいたいやき屋さんがあったなぁ。と、たいやきを買うために三越側から歩く。その途中に煌々と輝く真っ白い看板。そこに書かれた手書きの

          君をそこから連れ出して

          ゆかりごはんはみどりじゃないちゃん

          白い割烹着、もこもこの帽子。黒板の前に赤い台。廊下から持ってきた配膳台だ。小学生が8人。食器とおかずとごはんを配る。ゆかりごはんが出た日にはかならず、「お〜い、ゆかりごは〜ん!」って言われる。 私の名前は、「寺田縁」。 この名前、一発で読めた人は今までに2,3名しかいなかった。 幼稚園バス、子供会、クラス替え、水泳教室、表彰式。点呼の度に繰り返されるやり取りは、「みどりさん」「あ、ゆかりです」 そんなやり取りを何度も繰り返したせいか、はたまた元からの性質か、わたしは自

          ゆかりごはんはみどりじゃないちゃん

          私は絶対にはみだすので、ならべないでください。

          「前にー、ならえっ!」 灼熱の太陽に照らされて、白い背中と自分の腕だけが視界に入る。 「前の人以外見えないように並びなさい!」 はみ出す生徒はダメな子。 管理しやすく並べられた私は、目の前に並ぶ子の体操服の背中と自分の腕以外を視界から排除する。 ダメな子と思われないように。扱いづらいと思われないように。いい子の私は、必死で列からはみ出さぬよう並んだ。 だけど、きれいな一直線の一部になろうとすればするほど、私の頭は揺れ、体がグラつく。 昔から並べられて比べられるのが

          私は絶対にはみだすので、ならべないでください。

          職業の貴賤を決めるのは誰か。あなたの価値を決めるのは誰か。

          わたしは、自由でいたかった。「1つのことだけしかしない」なんて生き方はできなくて、でも、世間のことを知らなくて。はじめて働いた日から去年まで、「非正規雇用労働者」として働いてきた。そのほうが縛られずにいられると思ったから。 働く人としての誇りと、お金が無くては暮らしていけない現実と、自分はこのままでいいのかという不安。 わたしは自分が賤しい仕事をしているなんて、1回も思ったことはなかった。だけど、一生こういう働き方をするとも思えなかった。 わたしは何のために、誰のために

          職業の貴賤を決めるのは誰か。あなたの価値を決めるのは誰か。

          必要なもの以外、なにも欲しくなかった。なにもかも捨てていたあのころ。

          なんでも切り捨ててきた。 物も、 気持ちも、人間関係も。 潔く、0か100かに。 * あれはいつのことだったのだろう。高校に入ってしばらく経った日。 14歳のときはじめて手にした携帯に、たくさん集めた連絡先。もう連絡をとることなんてない。つながる手段をもっている必要なんてない。 そうおもって、ほんの数名の連絡先だけ残して、電話帳をクリアした。 あれはいつのことだったのだろう。働きはじめてしばらく経った日。 かつて時間を共にした、もしかしたらお父さんになるかもしれなかっ

          必要なもの以外、なにも欲しくなかった。なにもかも捨てていたあのころ。

          30分待った特急は、目の前にとまって、走り去った。

          あれは、いくつの時だったのだろう。 少しだけ大人で、でも時の流れにのれなくて。瞬間を記録した写真のように、記憶の中で高校生のまま止まっていた友人の顔。数年ぶりに会ってあそんだ。 季節は夏だったんだろうか。不快なほど暑くはなく、寒くもなく。だけど、快適な気温でもなかったことは覚えてる。 最寄りの、特急がとまる駅。そこから二人電車に乗って、街に遊びに出掛けた。「お祭りで着る浴衣はどんな色がいいかなぁ」と、電車が走る轟音で途切れ途切れになる声にお互い必死で耳を傾けて話したっけ

          30分待った特急は、目の前にとまって、走り去った。

          消したい過去も消さないことでいつか意味が生まれる

          言葉にしてみることは大事だ。輪郭がないものだからこそ。 はっきりとした形がないものだからこそ、何度も何度も言葉にし形にして残すことで、それらが重なる部分はだんだんと色濃くなっていく。 * 最近、以前書いて非公開にしたnoteをちょこちょこ見返している。 なんだか誰に向けて書いているのか分からなくて、何について書いているのか分からなくて、わざわざ人に読んでもらうほどのものでもない気がして、非公開にしたnoteだ。 だったんだけど、時間が経って読み返してみると、ちゃんと

          消したい過去も消さないことでいつか意味が生まれる

          わたしが死んだら、宗教葬じゃなくてパステルカラーのお花をたくさん飾ってね。~死について話すことをタブー視しないこと~

          自ら自分の人生を終わらせることは不幸なのだろうか。自ら人生に幕を下ろすということは、命を粗末にしているということなのだろうか。 多くの人は死を恐れ、死について話すことをタブー視し、生きたくても生きられなかった人と比べ、死を身近に感じることがない。 * 人の人生が終わる時、人は死に際だけを見てその人の人生が幸せだったか不幸だったか決める。 人の終わり方が悲しい時、人はその人の人生すべてが不幸であったかのように語る。死に至るまでに、こんなにも苦しんで生きた、という悲しみを

          わたしが死んだら、宗教葬じゃなくてパステルカラーのお花をたくさん飾ってね。~死について話すことをタブー視しないこと~

          死の淵に触れることは、生の輪廓を知ること

          初めて死を意識したのはいつ頃だっただろう。 「親が死んじゃったら!」「友達が死んじゃったら!」幼い頃から、誰かに突然会えなくなってしまうかもしれない恐怖をことあるごとに感じていた。友達が麻疹にかかったと聞けばすごく悲しくなって、親の帰りが遅いと心配になって号泣した。 人はどういうタイミングで死をリアルに感じるのだろう。それは、自分以外の誰かの死か、自分の死か。死のどんな側面を見つめるのか、それもまた人それぞれだと思うが、時が過ぎれば選ぶことのできない別れも、選んでしまった別

          死の淵に触れることは、生の輪廓を知ること