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ジュディ 虹の彼方に~誰よりも安らぎを求めて生きたジュディの生き様~【アカデミー賞主演女優 レネー・ゼルウィガー】

冒頭、若き日のジュディと事務所の社長・メイヤーが夢のようなファンタジーのようなセットを歩いている。別の映画がこの映画の中で始まるかの様なワンシーン。彼女はまるで洗脳のようにメイヤーから、普通の女性として生きるか、「ドロシー」として生きるか選択を迫られる。「オズの魔法使い」のオーディション前後と思しきシーンだが、のちにドロシーを演じるジュディの代名詞となる「Over the rainbow」は流れない。

シーンはとんで、1968年のジュディ。借金を抱え、2人の子供を寝せる場所も安定して用意することができない、栄光は過去のものへとなってしまったジュディだ。

この映画は、子役時代ドロシーとして名声を受けた裏側で「他人にコントロールされ、他人に赦しを乞う」そんな生き方を染み込まされ、栄光も絶望も自分では制御出来ず振り回され続ける一生を送った、彼女の生き様の伝記だ。

激動の人生を送ったスターの伝記映画といえば、「ボヘミアン・ラプソディー」を思い浮かべる。
例の映画がフレディがスターになるまでの軌跡と、彼らの楽曲の魅力を存分に伝える代わりに、訴えかけるメッセージはやや弱く感じたのに対して、この映画「JUDY」は、弱く不安定なジュディの心の揺れ動きが深く描かれている。成育環境、愛の記憶、それらが今の人生に及ぼす影響。複雑な過去に向き合いながら生きる人には、是非見てほしい。

コントロールされた子役時代


映画内で描かれるのは、2つの時代。ドロシーから16歳の2ヵ月前までと、最後のロンドン公演の数ヶ月間だ。

大人になった彼女は、強烈な勢いで上がっては下がる、自分の心に振り回されている。ショーのキャンセル、遅刻、泥酔状態でのステージ。そんな問題行動を度々起こしていた。

問題の根源は、他人に手綱を握られ自分でどう操ることも出来なかった子役時代にある。それを物語るように、ジュディが深い絶望の淵に自らを導く度、子役時代スタジオで過ごした不健全な日々がフラッシュバックのように描写される。

まだ精神的に自立する前の時代。自ら考える余地などなく、「世界の全てはこれだ」と見せられたものを受けとる。そんな選択肢しか無かった。

そうやって育った彼女の自アイデンティティを支える評価軸は、他人に愛されるか否か。

自信の源を、自分では制御し得ない場所にしか持てなかった彼女。そんな彼女は、外の世界の何かにしがみつくことでしか心の安定を保てず、酒に依存し、薬に依存し、子供に依存し、恋に依存した。

人に愛される度何度でも、永遠に続く幸せを信じ、人の心が変わる度、彼女にとっての彼女自身の価値は揺らいだ。深く沈み、自力では戻れない。何度も何度もそんな深淵に堕ちる。

5回の結婚に失敗し、子供の親権も失い、手にしたはずの幸せはいつも消えて無くなる。そんな人生に翻弄された。

そんな彼女は、他人からの救いの手を拒む。

「ジュディ、心配してるの」と言われれば、名を呼ばれることを拒み、「大丈夫?」と聞かれれば「大丈夫」と明るい笑顔を見せる。心の闇の核心を突いた問いかけは、時には冗談で、時には怒りで答えをはぐらかした。自分自身と向き合うことを拒み、切望するはずの「安定」から最も離れた場所に自ら進み続けた。

今すぐにでも誰かにこの苦しみから救い上げてもらいたいと夢見ながら、近くで彼女の心の健康を考えてくれる人には心を開かない。

どんなに愛を語り、愛の言葉を求めようと、心の奥深くに蔓延る暗闇は、誰にも打ち明けなかった。

赦しを求め生きる

ジュディの表情は、非常に不自然だ。突然パッと表情が切り替わる。まるで、いつかのあの日の心の中にいて、ふっと現実に帰ってくるように。

取って付けたような笑顔や、首をすくめ、目を見開き、怯えて周囲を見回すような表情。

望む行為のほとんどを禁止され、厳しい規律に従わされ育った彼女は、自分の犯したミスを取り戻す材料に「他人の赦しを得る」ことを望む。だから、不安な時には常に、赦されるか、赦されないか、伺うようにキョロキョロする。

赦しを得るという形で方をつけられないショックな出来事が起こったとき、彼女が出来たた只一つの対処法は、堕ちて、堕ちて、堕ちることだけ。
そうしてますます酒に溺れ、薬に溺れ、愛に溺れ、また問題行動と愛への渇望に振り回される悪循環を辿った。

誰もジュディのことなど心配していない

彼女が誰にも心を開けない原因の一つに「本当は誰もジュディ自身を愛していない」という感覚があった。ジュディを気にかけるような言葉を口にする人々が本当に心配しているのは、ジュディではなく、ジュディの興行の成り行き。皆がジュディを励ますのは「客のためにさっさと歌え」と思っているからだと感じていた。

そんなジュディも、不安定な彼女を受け入れ、励まし、愛を囁き、支えてくれる男性に出会う。

ジュディが唯一自分からデートに誘った男性であり、かつての共演者であるミッキー・ルーニー。彼と同じファーストネームをもつバーの経営者、ミッキーと5度目の結婚をした。

彼は、ジュディがいまだ秘める魅力がどれだけあるか、熱く語り続けた。ついにジュディにも心の安息が訪れるのだと安心したのもつかの間、「ジュディガーランド映画館を開いて稼ぐ」という野望がおしゃかになると、手のひらを返すようにジュディの行動や心の不安定さを責めた。

結局彼も、今までジュディを失望させてきた人間と同じように、「きっと成功する、きっとうまくいくと夢を語るだけ。ただ座ってショーを見ているだけだ」と言葉をぶつける。

そうしてまた、絶望の淵に堕ちた彼女は、アルコールと薬を併用して錯乱状態でステージに立つ。そうしてとうとう、パフォーマンス中に倒れてしまった。大ブーイングを浴び、ショーは大失敗。残りの興行への出演権は代役のロニーへと譲られることとなった。

希望を持った歩み


興行への出演のために用意されていたホテルを去る日。最後にショーを見たいと告げるジュディ。観客に物を投げつけられても、「それでも観客に愛はまだあると信じたい」と、ステージ裏でショーを観る。思い出すのは、ミッキー・ルーニーと立ったステージ後の光景。ステージ裏から次の出演者を見つめるジュディの目は輝いていた。

代役のロニーが立つはずのショー。だが、「もう二度とこのステージに立てないから」と、1曲だけ歌わせてほしいとロニーに交渉する。

快く引き受けるロニー。そうしてステージに出たジュディは、最高のパフォーマンスで1曲歌い上げる。そして、もう1曲。作中で1度も歌われることの無かった「Over the rainbow」

「夢見るどこかへ歩いていく曲。その歩みは人生の1日1日かも知れない。ただの歩みではなく、希望を持った歩み」そう紹介して、歌い始める。

目的もなく歩き、外的要因に振り回され、急激に堕ちて急激に上がってを繰り返す。ジェットコースターより過激な人生を歩んできたジュディが、自ら希望の光の指す方へ目標を定め、新たに歩む決意を決めたような、覚悟の歌。

子供との安定した暮らしを得るために、借金返済と家の購入を目指して始めたロンドンでの興行。ショーへの出演権を失った時には、親権も、新しい夫も、失ってしまっていた。
そんなロンドン公演の最後の最後、絞り出すように歌い出したこの歌に、涙が溢れて歌えなくなってしまったジュディ。

すると、一人の男性が冒頭の一節を歌い出す。この1968年の公演の前の公演を、ある悲しい理由で見れなかった男性だ。次いで、彼の連れが歌い出す。彼らもまた、理由は違えど周囲に翻弄され制御できない望まぬ道を歩んだ時期があった2人だ。

彼らにつられて、他の観客達も歌い出す。最高に愛と応援に満ち溢れた空間。誰が見てもジュディは栄光を手にしたように見えた。

虹の彼方へ

この半年後、ジュディは亡くなった。死因は睡眠薬の過剰摂取だった。読者の皆さんは、「なぜ?」と思うだろうか。「そうだよな。」と思うだろうか。

この幸せな気分がいつまで続くか、自分でさえ予測がつかない。自分でさえ理解できない波にのまれ制御が出来ない。昨日永遠に続くと思った世界が、今日起きたら遥か遠いもやの中にある、そんな1日1日を味わったことがあるだろうか。

何度愛に裏切られ、自分を本当に愛してくれる人などいないと絶望しようとも、また何度でも純粋に人の愛を信じたジュディ。結果と評価へのプレッシャーに翻弄され、それでも何度でもステージに立ったジュディ。その純粋さと不安定さが、彼女の魅力を輝かせたことは確かだ。

だが、ただ一人で涙を流すことでしか絶望の1日を乗り越えられないのはあまりにも苦しい。

だからこそ、ジュディの人生を遠い世界の話に感じられない私たちは、涙以外の方法で、辛い1日を乗り越える方法を知る必要がある。

そのために必要なのは、きっとまず、自分がここに来るまでに、どのような分かれ道を辿ってきたのか知ること。
自分と対話し、過去に向き合わ無ければならない。

現在の自分に影響する過去が何なのか、向き合わないまま生きたジュディの苦しみから学ばなければならない。

そうしてきっと、何かを少しずつ変えていく必要がある。
今は調子が良くても、またいつ悲しみの淵に落ちて上がってこれなくなるか分からないから。
今までと同じ道では、同じ道にしか辿り着かない。

きっと今は、誰にも何も話せなくて、目を合わせることすら出来ない人もいるだろう。動き出すなんて出来なくて、ただ毎日ベッドで涙を流すしか出来ない人も。

それでもいつかはきっと、少しだけ進める日が来る。今は地面に足をつけられなくても、歩けなくても、そんな希望だけは持ち続けていてほしい。

私たちが希望を持って目指す虹の彼方が、悲しみに翻弄される日々でありませんように。






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