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【映画】「万引き家族」一生分の忘れられない思い出ができる2時間。

「血を超える絆がある」なんてもはや、
この映画を観てわざわざ言うことじゃない。

ここには人にとってものすごく普遍的な、中毒性のある是枝ワールドが
容赦なく展開されている。
冬の帰り道「寒いね」と言い合って食べるコロッケ、
誰かの肩にもたれながら夕立を眺める夏の午後、
泣きたい日のおばあちゃんの膝枕、
大好きな人たちとワイワイ言いながら見上げる花火。

ただ、私たちは知っている。
真っ当じゃない幸せは続かない。
この家族の幸せもまた「万人を守るため」にできた正論によって、
ちょっとバランスを崩した途端に、みるみるほどけていく。

安藤サクラの泣きの演技がカンヌで絶賛されたそうだ。
私たちは人が泣くのをそれなりに見てきて、
結局のところ「泣いてもいい」と思っている。
涙はいつもそれなりに美しいし、笑顔と同じぐらい自然なものだ。
でも、それを流したくない時もある。
湧き出る感情と向き合いたくない時がある。
認めたら全て無くしてしまう、だから流れてくるこれは何でもないの、
そんな涙だった。
演技じゃなくても、現実でもこんな風に泣くのは、
それをさせる感情と背景がある時だけだ。

ちょっとした不自然さや説明不足に苛立つ映画もあれば、
語られない部分も、観る側の頭の中で自然に補整されていく映画もある。
私が思ういい映画の条件で、この映画は後者、文句なしにいい映画だ。

些細な一言や日常に溶け込むような出来事が、次第に意味を持っていく。
少年が良心を考え始める様子が彼自身の成長とともに描かれていて、
ああもうこれは止められないこと、いつか訪れることだったんだと気付かされる。
例えば「それはいいことなの?」という問い、柄本明演じる店主の正しさ、
スイミーが言う「ぼくが目になる」。
その純粋な成長を、語らず、無理にコントロールせず、
こんな自然に表現するなんて素晴らしい。
でも、そう。現実はいつもそうだ。

最後に安藤サクラが言った
「おつりが来るぐらい幸せだった」という言葉。
その幸せを、観る側も十分に浴びた。
子供として、父として、母として、年老いて命が尽きる存在として。
一生分浴びた。

「盗んだんじゃないです。拾ったんです。捨てた人がほかにいるんじゃないですか?」
人が人を大事にしない現実がある。
でも一方で、人が捨てたものを拾ってきてしまう、
そんな存在がある世の中は、希望だと思った。

きっとこれから不幸になる人もいるし、
新たな道を歩き出す人も、変わらない人もいる。
いつもの是枝映画の通り「野に放つ」終わり方だから、
特別じゃないこの人たちが、今もどこかであの続きを生きている気がしている。


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