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今日はわたしが『電車に乗れた』からヨーグルトジャーマニー記念日

激しい鼓動の高鳴り、荒くなる呼吸、Tシャツが透けるほどの汗、突然歪み始める景色。

もうこのままでは「死んでしまう。」

膝が震えだし、とっさに頭の中は真っ白になり、その場にしゃがみ込む。

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2013年8月の昼下がり。私は東武東上線「和光市駅」の下りホームから、電車に乗り込んだ。週末の昼下がり、車内は人と人が当たりはしないものの、そこそこ賑わっていた。次の「朝霞駅」まではおよそ2分。到着のアナウンスがそろそろ流れるか、くらいのタイミングで私はしゃがみ込んだ。

「あと少しだから、頑張って。」

そう私に声を掛ける母の声が、まるで砂漠をさまよう中で起こる幻聴かのように遠くの方で聞こえる。

プシューっとドアが開く音が聞こえた途端、逃げるように私はホームへ駆け下りた。相変わらず頭の中は真っ白で、鼓動も呼吸もランニングの後の様に激しく浅い。着ていたTシャツの背中は、ブラジャーのホックが透けるほどビチョビチョだ。

「ごめん、やっぱり無理だ。」

泣きながら、そう嘆く私を心配そうに見つめる母と祖母。その視線に何も応えられない私は、ホームの隅で泣き続けるだけだった。

突然訪れた地獄の日々

その日から遡ること1ヶ月ほど前。私は勤務中に突然、激しい頭痛・動悸・めまいに襲われた。

それから数日仕事を休んだ後、不完全なカラダを引きずりながら、出勤を試みる。結果は全敗。改札口の前で倒れたり、ホームにたどり着いては嘔吐を繰り返す…という地獄の様な結果と毎日だった。

「今日も会社行かれなかった・・・」

訳もなく溢れてくる涙で視界すらおぼろげなまま、自宅に戻って重たい体を布団に沈める。

食欲も全くと言っていいほど無くなり、当時48キロ程だった私の体重は1週間で43キロまで落ちた。

大きな病院で検査を受けた後「異変なし」と言われ、数週間後、最後にたどり着いたのは心療内科だった。

その時、医師から診断されたのが「パニック障害」だった。

正直、"この手の病気"とは自分は無縁だと思っていた。が、"それ"は突然現れる。一般的には脳内の不安神経によるバグ的なものとも言われているが、ストレスや生真面目な性格との関係も密接な病気だ。

職場には申し訳ない気持ちでいっぱいの中(頭の中はやり残した仕事でのことばかり)、結局わたしは休職することになったのだった。

歩けない、食べられない、眠れない

最初の1ヶ月は、布団から起き上がることさえできなかった。


毎日天井の木目を眺め(つまらなすぎる。でも身体が全く動かない。)

お風呂にも入れない(狭さと目を閉じてシャワーが無理。自分が臭い。)

頭を鈍器で叩かれ続ける様な(叩かれたことないけど)激しい頭痛

ご飯も食べられない(毎日桃だけ食べて吐くの繰り返し。ある意味贅沢。)

そして眠ると悪夢を見てうなされる(大体職場で仕事に追われる夢)


今思い出しただけでも、地獄に地獄を重ねる毎日。地獄の100乗ってところだろうか。よく生きていたと思う。

きっかけは、母だった。

とはいえ、いつまでも寝たきりでは居たくなかった私。まずは家族の力を借りてリハビリを始めた。その第一歩が、冒頭の母と祖母付き添いの電車訓練だった。

幼稚園から大人になるまで、ほぼ毎日電車で通学・通勤をしていた。正直、25歳にもなって"電車に乗れなくなる"なんて想像もしていなかった。当たり前の日常を失った悲しみのダメージは大きく、それ以上になぜか突然襲ってくる「死んでしまう!!!」とパニックになる恐怖も大きかった。

まずは1駅から・・・初めてみたものの、1ヶ月半振りの電車は、冒頭の苦しみに満ちた苦い記録となった。

朝霞駅から和光市駅までの復路は、背中を摩ってもらいながらなんとか帰還できた。顔が真っ青な私を見て、母がおもむろに。

「駅前のロイホ(ロイヤルホスト)でも行って、ちょっと落ち着こうか。」

と言ってくれた。パニック障害による「広場恐怖症」を患っているわたしにとっては、正直、人がたくさんいるファミレスに行くことすら怖かったけれども、密閉された電車よりは100倍マシだった。

安心の味、ヨーグルトジャーマニー

桃ですら食べては吐いてを毎日を繰り返し、ほぼほぼ食欲のない私が、やっと食べれれるのは「喉越しが良いもの」が絶対条件だった(胃酸で喉もボロボロだからやさしいテクスチャーがいい)。そんな時に目についたのが「ヨーグルトジャーマニー」。

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いかにもやさしい見た目。カシスアイスとクリーミーなバニラアイスがぎっしり詰まったグラスに、ヨーグルトとブルーベリーのソースがかかってさっぱりとした風味が楽しめる「甘すぎない、爽やかなデザート」

精神的にも肉体的にもボロボロ。しかもたった電車1駅でフルボッコだった私だが、ひと口食べた瞬間、目の前の景色に一気に「色」が戻ってきた。

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ついさっきまで、モノクロで色味のない"絶望の場面"に取り残されていた私の視界に、カラーが戻ってきた。そんな感覚だった。

ゆっくりだけど、スプーンも進む。おかげさまで顔色も徐々に戻り、どきどきしていた心臓もいつの間にか落ち着いてくれていた。肩の力も抜けて、不思議と全てが平坦になった様な感覚に戻してくれた。

食べ物にはこんなにも人を元気付けてくれる力があるのか・・・とちょっと驚いた。

すると母が

「まずは電車に乗れたんだから、それでよかったじゃない。よく頑張ったよ。」

と言ってくれた。ついこの間まで社会人をやってた娘が、突然電車すら乗れなくなっている。母は一体どんな気持ちだっただろうか・・・泣きっ面の私をみて、母なりの精一杯の気持ちがこの一言だったんだと思う。

記念日を続けよう、ずっとずっと

それから、少しずつ駅の数を増やしてリハビリを続けた私。


その年の9月には、中目黒駅まで行ける様になった。

5年経ってやっと急行電車にも乗れる様になった。

7年経った今、満員電車は相変わらず苦手だけど、発作ももう何年も起きることなく順調だ。

カウンセリングだけは続けていた通院も、昨年終えた。


失ったと思っていた、いつもの日常を取り戻せた私。家族や友人のサポートでやっと取り戻せた。そしていつも、電車のリハビリには「ヨーグルトジャーマニー」がご褒美にあったから。

後にも先にも、私をあの日地獄から救ってくれた"あの時のヨーグルトジャーマニーの味"が忘れられない。未だに思い出す。

仕事頑張ったな、よくやったよ。って思うたびに、私はロイヤルホストへ足を運ぶ。7年たった今でも、自分への労いは「ヨーグルトジャーマニー」だ。

苦しかった日々、それでも少しずつ自分を取り戻す毎日。もがき苦しんだあの頃に、あえて名前をつけるならば「ヨーグルトジャーマニー記念日」だったんだな、と思う。





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