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オパールの少女 第三章

第三章 地底脱出

(1)
我々地底人は元々地上で生きていたのだという。
超古代文明と呼ばれていた一族の末裔だと歴史書には記されている。
さまざまな発明がなされ、空を飛ぶことも可能だったとか。
その高度な文明を持った人間たちがどうして地底に下ることとなったのか。
それはよくある話だが、隕石が原因だった。
巨大な隕石が、その大きさゆえに大気圏で燃え尽きず、地上に落下したのだ。
それは巨大な火の玉が落ちてきたようなもの。
瞬時に海水は何億トンも消失し、巨大な穴が地上を穿った。
その衝撃が波紋のように地震を起こし、山は火を噴き、大津波が大地を飲み込んだのだ。
天空は黒い雲に覆われて太陽の光を遮った。
地上では草木も生えなくなり、生き物は次々と斃れて、祖先達は生き延びる為に地上を捨てたのだった。
そもそもそうした天災を想定していたご先祖達は、地底を探索し、すでに地下への避難シェルターを築いていた。
しかし地上が以前と同じように生命を育むことができるようになるまで、どれほどの時を要するか見当がつかなかった祖先達は、地底に根付く覚悟で地上を捨てたのだった。
 
もともと地上で生きていた人間が地底の世界で生きるためにはあらゆる発明が必要だった。豊富な地下水のおかげで体内の水分を保つことはできる。そして人工の微量な紫外線を放出する陽光に似た照明により植物は地上に近い状態で繁殖可能となった為、酸素の生成も問題なく為された。
人工灯は地底のあらゆるところに設置され、暦通りの太陽の運行とリンクした。
結局地上にある時と同じように明るくなり、夜になれば消灯する。
地上を模倣した生活がそこにはあった。
地底人となった者達はやはりいつかは地上に還ることを切望していたのだろう。
地底では星空を望むことはできなかったけど、暗がりの天井には無数のペリドットがほんのりと光を放ち、それが地底人にとっては星空のようなロマンなのだったが、いずれ本物の夜空を直に見たいと願ってきたに違いない。
そして地底の政府は地上に戻った時に暮らしていけるようずっと地上の様子を窺ってきたのだ。
地上の人間たちがどのように文明を発展させてきたのか、その為に起きた愚かな出来事も過酷な戦争の数々もじっと凝視めてきた。
地底人の子供達はみな地上の歴史などを学ぶ教育を受けている。
全人口は1,000万人程度。
数では地上の人間にかなうはずもないが、戦争の意志もない。
今さら地底人が地上に這い出ることはあらゆる混乱を来すことになるだろう。
地上の目覚ましい発展を鑑みた政府は、このまま地底に留まる決断をしたのだった。
そうかといって地上の一部の人間とはパイプラインを保ち、地上の動向を窺う省庁は今でも機能している。
 
 (2)
ボクは子供の頃から誰よりも地上への憧れが強かった。
父も母も共働きで留守が多かったので、児童図書館に通っては地上の図鑑を眺めて過ごした。
そこには空を飛ぶ鳥や巨大な象という生き物、見たこともない動物ばかりで、どんな様子なのかとワクワクと空想に勤しんだものだ。
夜になるとペリドットが瞬く天井を見上げ、読み書きができるようになると貪るように地上について書かれた書物を読み漁った。
歴史、文学、その他もろもろ、地上の地図まで熱心に研究した。
そしていつか必ず地上に携わる職につき、地上に行く、というのが、ボクの夢となったのだ。
地上に関わる仕事となると『地上省』の管轄になるので、ここの役人になるのが何事にも道は拓ける。
そうして猛勉強の末にボクは難関の最高学府・帝地大学に入学を許されたのだった。
ボクがこの大学に入学できて何より嬉しかったのは、地上学の教授がその昔地上からやって来た地上人だったことだ。
直接話が聞きたくて、好奇心がうずいて仕方がなかった。
教授の名前は西崎和人先生といった。
西崎教授のゼミに入り、初日のあの日、どれほど胸を高鳴らせて教授室の扉を叩いたことか。
迎えてくれた教授は痩せぎすの初老を過ぎた紳士だった。
地底の人間とどこがどう違うとも思えない。それは不思議な気がした。
「君、金剛君というのか。はじめまして、西崎和人です」
「教授、お会いできて光栄です。どうぞよろしくお願いいたします」
教授は興味深そうにボクの顔を凝視めた。
「君は随分と地上に関心があるようだね。成績も優秀だから他の省庁を目指しても有意義な働きができるだろうに」
「ボク、子供の頃から地上に憧れていたんです」
「そうかね。地上に絶望した私が思わぬ地底でこうした教職を得たというのも皮肉だが。まぁ、もうすぐ引退というこの時期に希望に満ちた君に出会えたことは何よりだ。私が知る限りを教授するとも」
握手を交わして、教授は穏やかに笑っていた。
「先生は地上ではどのように過ごされていたんですか?」
「至って凡庸。たいした話はないのだよ」
そうして教授は昔を懐かしむように遠くを眺めた。
 
西崎和人の地上での人生はあまり恵まれたものではなかった。
時は高度成長期。
戦争で失ったものを取り戻そうとするかのごとく、人々は活気に満ち満ちて猛烈に働いた。それと相反するように混乱に乗じて成りあがろうという輩が跋扈する東京は治安もあまりよくなかった。
ありていに言えばカオスである。
西崎和人は親を戦争で亡くし、少年の頃から町工場で働いてなんとか日々食いつないでつましい生活を送っていた。
大人しい性質のうえにあまり丈夫ではない体はこの時代の機運には対応できなかった。後から入ってきた体の大きい新米にも先を越される。
そうかといって学もない、文字も書けない自分が条件の良い職場に転職する機会も巡ってくるわけがなかった。
ただ容姿が細面で文学青年風だったので、町工場社長の娘の真知子お嬢さんが好意を示してくれていたのが唯一のチャンスだったのかもしれない。
休憩時間に工場の隣の空き地で息抜きをしていると、よく真知子お嬢さんはやってきて、甘い物などをこっそり差し入れてくれた。
「和人さんは真面目なのね」
「私はそれしか能がないですから。一生懸命働くだけです」
「油にまみれた仕事より、役者にでもなったほうがいいのに」
「そんなのムリですよ」
顔だけで役者をやっていくというのも無理があるが、何より人前に立つなんてそんな度胸はありはしない。
「真知子お嬢さん、お願いがあるのですが、私に読み書きを教えていただけませんか?」
そんな具合で真知子お嬢さんは空いた時間を見つけては勉強を教えてくれるようになった。読み書きができるようになると社長の態度も変わってきたのが不思議なもので、私にそろばんを教え、簡単な帳簿を付けさせるようになった。
肉体労働から事務仕事へと、真面目にこつこつと覚えたことを積み重ねてゆく作業はどうやら性に合っていたらしい。
事務仕事がメインになり、銀行との付き合いや接待など対外的な業務も任されるようになった。そして、社長は真知子お嬢さんとの結婚を認めてくれたのだった。
思えばあの時が人生の絶頂だったのかもしれない。
社長の座を譲られ、工場も順調。
しかし、従業員が増えて工場を拡張したあたりから何か歯車が狂ったようにうまくいかなくなり始めた。
大企業が海外を拠点とした工場を次々と建設して、安い賃金で働く現地人による部品の供給は日本国内で稼働する町工場を圧迫した。
倒産する工場が相次ぎ、うちの工場だけが例外的にそれを逃れられる筈もない。
なにか特殊な技術でもあれば大企業の下請けという選択肢もあっただろう。
それでもその道を選んだ工場は、それはそれで楽な選択肢ではなかったようだ。
私は徐々に追い詰められ、金策に奔走する日々を送っていた。
家のことなどかまう余裕もなく、まさか工場の若造と妻の真知子がねんごろになっているのにも気付かなかったのだ。
そして彼らが私を保険金目的で殺そうとしているなどと、露とも考えが及ばなかった。
 
ある晩、それは何だか息苦しい夜だった。
湿度が高く、空気が肌にまとわりつくような不快感。
頭がぼんやりとする。
意識はあるようだが、それでいて体がぴくりとも動かないのだ。
「真知子さん、旦那さん死んじゃってるのかい?」
「いやぁね、体の自由を奪う薬だと聞いたわよ。早く梁に吊るしちゃってちょうだい」
私はどういう状況なのかまったく見当がつかなかった。
ただこのまま大人しくしていれば、梁に吊るされてしまうらしい。
試しに指先に力を込めてみると、ピクリと動く。
薬の量が足りなかったのか。
頭も覚醒してきて、徐々に手足の硬直も解けてゆく。
「やっぱり俺、人殺しなんてやだよ」
「これは自殺よ、人殺しじゃないわ。このままじゃあ工場は倒産して土地も取られちゃうのよ。せめて保険金ぐらい残らないと暮らしていけないじゃない」
目が闇に慣れてきて、窓から漏れる外の光でその男が工場に来て一年になる下っ端の浜次であることを私は知った。
いつから二人はデキていたのだろう?
知らぬは亭主ばかりなり、とはよく言ったものだ。
自嘲の笑みと共に、はらわたが煮えくり返るほどに怒りが込み上げてきた。
どうしてこいつ等の為に死んでやらねばならぬのか・・・。
「ちょっとしっかりしてよ。いいわ、首の縄はあたしが掛けるから、あんたは梁を通して引き上げるのよ」
もうだいぶ体の自由は戻ってきている。
真知子が私に跨り、首に縄を掛けようとした瞬間に、私は渾身の力を込めて真知子を引き倒し、縄を奪い取ると真知子の首を絞めた。
「ひぃい」
浜次はどうやら腰を抜かしたようで動けないでいる。
「あんた、やめて。後生だから・・・」
手足をバタつかせながら懇願する真知子の声に、ふと我に戻った。
幸い私たちには子もいない。
ほだしになるような家族もいない。
工場もどうでもいい。
もうどうとでもなれ、と私は家を飛び出した。

行く宛もなく、どれほど歩いただろう。
足が重くなり、向かっている先は山だった。
どのみちもう帰る場所はない。
せめて真知子に嫌がらせするならば失踪してやろうと思った。
失踪宣告は七年後だ。
保険金が入るにしてもすぐにではない。
その為にはたとえ死んでも遺骸が見つからぬところまで辿りつきたい。
そうして私は深山の洞窟に足を踏み入れたのだった。
そこがまさか地底に至る洞だったとは、知る由もない。
落ちたり、登ったり。
光を求めるように手を伸ばして、外に這い出た。
結局生きている、そう呆れながら昏倒した。
そして気がついた時には、この地底の病院だったのだ。
 
しかしこの地上に憧れる前途洋々な若者に私のつまらぬ半生を語ったところで詮無きこと。
「時代がよくなかったと言い訳させてくれたまえ。私はまぁ、地上から逃げてきたわけだね。そして、運よくこの地底に落ちてきた、というところかな」
死にきれなかったのはやはり生存本能というものがあったからだろうかね、そう呟く教授の横顔は少し悲しそうだった。
「金剛君、君はやはり地上に行きたいかね?」
「はい。いつか必ず本物の星空を眺めてみせます」
「そうか。励みたまえ」
とても穏やかな笑顔だった。
教授のおかげでボクの大学生活は格段に楽しく有意義なものとなった。
そして地上への憧れもさらに増していった。
いつかは必ず地上省へ入ろうと勉強にも励んでいたこの身にまさか不治の病が襲い掛かるとは、一体誰が予想できただろうか。
 
(3)
ある朝突然猛烈な喉の渇きに目覚めたボクは、はっきりとしない意識を何とか支えて冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出してゴクリと飲んだ。
キンキンに冷えていたはずの水が喉を通り過ぎるまでに蒸発していくかのように体が熱い。
もう1本水を飲んだが一向に渇きは収まらない。
頭から水をかぶっても体の熱は下がらなかった。
堪えきれずにベッドに倒れ込み、そのまま意識を失くしたのだった。
途切れ、途切れに色々な夢をみた。
子供の頃のこと。
忘れていた母さんの顔。
飼っていた黒猫のノワール。
両親に手を引かれて遊びに行った遊園地。
記憶の断片が万華鏡のように、チラリ、チラリ、と閃いては消えてゆく。
喉の渇きに何度となく目覚めては、水を飲み、また意識を失う。
どれだけそれを繰り返したのか・・・。
徐々に熱が下がってゆき、体のだるさが取れたのはそれから数日後だった。
水しか飲まないのに不思議と腹は減らない。
しかし体は確実に痩せ細り、骨が軋む。
いったい自分に何が起きたのか?
それは鏡を見て一目瞭然だった。
ボクの漆黒だった髪は白髪に変わっていた。
それは『化石化』の兆候だった。
しかも不治と言われる逃れられない性質のよくない方の病。
 
いつの頃からか。
地上で生きてきた人間が地に下った弊害か、「化石化」という病気が発生した。そして我々はそれに向き合わなければならなくなった。
人により部位は違うが、時間をかけてゆっくりと体の一部が石のように硬くなるのだ。皮膚の色が壊死したように変わり、石のように硬くなってゆく奇病。
発症のメカニズムは解明されず、治療の方法はない。
地底人の三割はこの病気に罹る。
手足に発症すれば概ね命の心配が無いのが救いではあるのだが、難病と呼ばれる重度の化石化は発症の仕方も病状も通常のものとはまるで違う。
そして必ず死に至るのだ。
この白い髪はそのサイン。
百年に一人程度の割合でしか発症しないといわれているのに、よりにもよって自分が・・・。
『絶望』の二文字しか頭に浮かばず、思考も停止寸前。
ボクは膝から崩れ落ちた。
 
自分が死から免れない病であると発覚してから、ボクは地上への憧れを抑えることができなくなった。どうせ死ぬにならば、せめて文字や映像でしか知らなかった世界をこの目で確かめたかったのだ。
そして猶予はない。
ボクがこの病を発症したことが知られれば、国の機関が研究材料として収監にやってくるだろう。
誰にも知られずに逃げなくてはならない。
食料と飲み水と、サバイバルに使えそうな道具を掻き集めてリュックに詰めた。
この髪を見られないよう帽子を目深に被り、暗闇に乗じてすべてを捨てたのだ。
地底には昔から禁忌の場所というのがいくつかあった。
そしてそれらが地上へつながる道だということは暗黙の了解となっていた。
危ない場所や険しい道、毒蛇が塒にしているところなどもあるから地上へ辿り着くのは困難だ、やめておけ、そう大人たちは子供たちに教え込んできた。
しかしすべてが地上につながっているわけではなかった。
だからといって諦めるわけにはいかない。
奇しくも西崎教授から様々な話を聞いていたボクには、とある場所に確信があった。
入口から下る場所が数か所あり、そこが地上へ続く道に間違いないのだった。
しかしどれだけの時間がかかるか見当もつかない。
それでも行かないという選択肢はなかった。
どうせ死ぬのだから。
 
禁忌の洞窟に入り、ある程度行くまでは電灯は点けられない。
いくら闇に目が慣れてきたといっても、真暗な闇に足を掬われないよう細心の注意を払わなければならないのだ。
毒蛇がいるかもしれない。
もっとたちの悪い蟲がいるかもしれない。
恐い。恐い。恐い・・・。
そろそろ大丈夫かと灯りを点けると、道は予想通りに下っていた。
そして饐えた匂いの元はと見ると、骨が散乱して腐臭を放っていた。
直視できない。
人ではないことを祈って先に進む。
異臭は続くが、ガスを探知できないと危険なのでマスクなどで鼻を覆うことは出来ない。
徐々に目が慣れてゆく。
恐ろしいことに、人の順応性とはすごい。
これまでに嗅いだことのない異臭にも慣れてくるものだ。
前に、前に。
それしか考えていなかった。
ふと道はふっつりと途切れたように土の壁が現れた。
行き止まり、それは絶望を意味する。
そんな馬鹿な。
ここで道が終わるなんて、そんな筈がない。
すると神経が鋭敏になっていたのだろう。
わずかな空気の流れが、道が続いていることを教えてくれた。下からだ。
四つんばいで暗がりを探ると、人一人通れるかどうかという穴を見つけた。
地下に続いているような急勾配の下り道。
躊躇われるが、進まなければ先はないのだ。
ボクは頭から這い進み、もがくように前進を続けた。
そうして急に穴が広くなると下へ落ちた。
「いてて・・・」
立って歩けるような広い空間だ。
とりあえず擦過傷程度の傷で免れた。骨も折れていないし、打撲も大丈夫。
ボクは水を飲んで携帯食を食べると、ここでひと眠りすることにした。
時計を確認すると、洞窟に入ってすでに五時間近く経過している。
このまま進んで地上に着くことができるのか?
どれくらい道は続いているのか?
考えるとキリがなく、不安と恐怖で圧し潰されそうになる。
体の疲労が助けとなって思考を掻き消してくれるのがありがたい。
ただ眠ろう。
灯りを消して目を閉じた。
 
それから自然に目が覚めたのは六時間後だった。
水を飲んで立ち上がる。
道は続いているのだ。
ゆるやかに登って行くような道が続いている。
進むしかない。
 
それからの道程はずっと登り道だった。
時に険しく、時にゆるやかに、ただ地上へ続くと信じて、疲れれば休んで、腹が減れば食べる。
そうして何日経った頃か、とうとう人工的な扉を見つけたボクは歓喜した。
その扉は施錠もなく、錆びた取っ手を力いっぱい押した。
これがボクの地上への第一歩となったのだ。

コンクリートの通路と上りの階段が続く。
一体どこまでこの道は続くのか?
もしかすると先は行き止まりなのかもしれない。
それでももう後戻りすることはできなかった。
何度となく同じ自問自答の波に苛まれ、心が折れそうになると、地上を夢見て己を奮い立たせる。
どれほど歩いたのか、時間の感覚もはっきりと認識できなくなった頃に、もう一つの鉄の扉が現れた。
この扉が開かなければボクはもうおしまいだ。

腹は既に括っている。
取っ手を捻り、扉を押し開けると、そこはコンクリートの神殿のような広い空間。
暗渠。
確か地上では水害対策に都市の真下に人工的な暗渠を築いたと本に書いてあった。
ボクはようやく地上が手に届くところに来たのだと確信した。
どうしても、という執念に近いその一心で地底から這い上ってきた。
実際にそれから地下鉄道を見つけて地上に這い出るまでにそれほどの時間はかからなかった。
 
 (4)
とうとう地上に来たぞ。
声を限りに叫びたかったが、地上の人達が闊歩する公道では憚られる。
実際に感じた陽の光は眩しかった。
というか、ダイレクトに目が痛い。
太陽を直視して目が眩み、ボクは路地裏に入り込むと、ぐらりと体を支えきれずに、しゃがみ込んだ。
 
そんなボクに声をかけてきた人がいた。
「キミ~、どうしたの?」
見上げると派手なスーツを着こなした茶髪のお兄さんがにやにやと、ちょっとチャラくて危険な感じがする。
後ろに仲間らしき男たちが二人。どちらもあまりいい感じがしない。
「すみません。ちょっと立ち眩みしただけで、何でもないです」
なんだか逃げなければならない気がした。
「キミさ、もしかして家出していくところない系じゃないの?」
「そんなことないです」
ふりきろうとすると道を塞がれた。もしかして追剥なんだろうか?
「こんなところでそんな大荷物持ってるのは違和感なんだよね~」
「ボク、金目の物なんて持ってないですよ」
「いやいや、仕事を紹介してあげよう、って言ってんの」
「え?」
実際地上に出てきたものの、食べていかなければならない。
これは好機なのか?
それにしても彼等の信用できない雰囲気が足を止めさせる。
「とりあえず来てみなよ~」
後ろの二人がボクを両脇から挟み込んで、連行されるパターン。
すごく嫌な感じがした。
「あれ~、お前こんなとこで何してんだよ。探したぞ」
後ろから若い男の声がした。
ここは色々と危ない場所なのかもしれない。
後ろから声を掛けてきた男はボクとあまり年が変わらない金髪の美形だった。
なんとなくこっちのほうが安心できる。
「ゴメン、ボクちょっと立ち眩みしちゃって」
ボクは金髪の子に助けを求めた。
「おいおい、嘘つくなよ」
性質の悪い奴らはボクの腕を掴んで離さない。
「あの、離してください」
「そこの金髪君。うちが先にスカウトしたから、この子は連れてくよん」
ああ、絶対これはヤバイ奴だ。それに振りほどけない。
するとどこからともなく現れた背の高いスラリとした男がヤバイやつらの手を引き剥がした。全然気配を感じなかったのが只者ではない気がする。
さらさらとした髪がなびく、切れ長の目がキリリとカッコイイ人だった。
「ごめんねぇ。この子うちの子だからあきらめて」
「お前、『プラチナステージ』のアキラか?」
「ふーん、俺のこと知ってるんだ。じゃあ、手を引いてくれる?」
アキラさんはにっこりと笑っているんだけど、何だか凄味がある。
「あんたの弟分なら仕方がないな」
どうやらヤバイ奴らは諦めてくれたようで、ボクはほっと胸を撫で下ろした。
「アキラさん。助けていただいてありがとうございました」
「君は運がよかったね。アイツらちょっとよろしくない類の連中だから」
アキラさんはにっこりと笑ってくれた。この笑顔は本当に頼もしい信頼できるものだと思った。
「麗、この子店に連れて行って風呂に入れてやってくれ」
「はーい、アキラさん」
金髪の子は麗という名なのか。
「あの。ボク、臭います?」
「ちょっとね」
アキラさんのウインクはとてもチャーミングだった。
 
『プラチナステージ』はホストクラブだった。
「麗さん、助けていただいてありがとうございました」
「麗でいいよ。しかしお前危なかったなぁ。アイツらに連れて行かれたら大変なことになってたぜ」
「なんかヤバイ感じだなって、思ったんだよね。本当にありがとう。ボクは金剛っていいます」
「ふーん、ルックスのわりに厳つい名前だな。ともかく風呂入ってきなよ」
麗はタオルをくれると、ロッカーを開けて着替えも貸してくれた。
地上に出てきていきなり怒涛の展開にボクの思考は追いつくのに苦労した。
ともかく熱めのシャワーを浴びるとなんだか生き返る気がして気持ちがいい。
ボクは改めて救われたんだと一息ついた。
アキラさんのような人に出会えたことはとても運がよかった。
 
風呂から上がると、アキラさんが待っているからと事務所に案内された。
アキラさんはさっきまでのラフな服装とは違い、濃紺のシックなスーツを着てものすごくキラキラとかっこよかった。
「アキラさん、改めまして、ありがとうございました」
「金剛君っていうんだってね。ま、座って」
上質な革張りのソファは張りがあって据わり心地が異常にいい。
ボクはひっくり返らないように腹に力を入れた。
「そんなに緊張しなくていいよ」
アキラさんはコーヒーを淹れてくれた。
「ありがとうございます」
一口すするとブラックなので苦い。
ミルクを2個と砂糖を3本加えてかき混ぜていると、アキラさんは笑っていた。
「甘党なんだな」
「ええ、お恥ずかしいんですけど・・・」
アキラさんは事情を聞くためにボクを呼んだのだろう。
どこまで本当のことを話せばよいのか・・・。
「金剛はいくつだい?」
「もうすぐ二十歳です」
「未成年か・・・。で、家出少年なのかい?」
「まぁ、そうなんですけれど。家にはもう戻れません」
アキラさんは何か思案しているように目を伏せた。
「そうか。ところで、その髪は地毛なのかい?」
「はい?」
今それ聞くわけ?
「はい。地毛です」
「いい色だな。ほんのり七色の光沢があって、瞳は黄金色か。目立つルックスだよな。混血なのかい?」
ボクは地上の人間ではない。
『混血』という言葉の意味するところが今いちピンとこないし、これからもこんな場面に遭遇するだろう。
アキラさんには救われたし、信用できる人だ。
すべてを話そうと決めた。
「いきなりで驚かれるかもしれませんが、ボクは地底からやって来ました・・・」
アキラさんは顔色も変えずにじっと話の続きを待ってくれている。
そしてボクは地底の世界のこと、自分の不治の病のことなどを話した。
普通ならば荒唐無稽で到底信じられる話ではないだろう。
それでもこの人は嘘ではないと信じてくれると直感した。
「・・・そうか。それは大変だったね」
アキラさんはふうっと息をつくと、ボクの頭をポンポン、と軽く叩いた。
「ボクの話を信じてくれるんですか?」
「君が嘘を言っていないのがわかるからね」
「ありがとうございます」
ボクはうれしくて、ホッとして、ありがたさに深々と頭を下げた。
「まぁ、職がないと食べるにも困るしね。住み込みオッケーだし、見習いという形でウチで働いてみなよ。未成年だから接客はダメ。ホールの手伝いとヘルプから始めようか」
「あ・・・、はい。ありがとうございます」
「まずはこっちの世界に慣れるのが先だろ?その間に色々と考えればいい」
「ありがとうございます」
アキラさんは器の大きい人だ。何より本当に頼もしい。
「金剛、とりあえずお腹すいてるんじゃないのかい?」
緊張の連続で忘れていたけれど、グゥ、と腹が鳴った。
「キッチンに行こう。その後スタッフたちに紹介するからついておいで」
そうしてアキラさんはボクを拾ってくれた。
そして英明さんという厨房のお兄さんは賄のカレーをふるまってくれたのだ。
刺激的で、癖になる。
とても美味しかった。


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