ワンオペ育児でも腐らずにいられる理由

なにかと話題になりがちなワンオペ育児。家庭において、主に育児と家事をメインで行う側(だいたいは母親)が陥りやすい。かくいう我が家もワンオペ育児である。ワンオペしているのは妻であり在宅ワーカーのわたしのほうである。

ワンオペ育児と一口に言ってもいろいろあるらしく、たとえば『平日のみワンオペ』(週末や祝日などは夫が家にいるのでそのときは家事と育児に協力を得られる)とか、『平日休日関係なくワンオペ』(夫が常に家にいないので平日も休日も変わらず妻一人で家事と育児を回している)とか、まぁいろいろあって、その中でもマウンティングが起きる程度には多くの家事・育児従事者が苦しんでいる現実がある。

我が家においては基本的には『平日ワンオペ』なんだが、去年の八月くらいから事情は変わってきている。
というのも、もともと忙しい夫の仕事が激務と化し、朝は七時半には家を出て、帰りは早くて八時、遅くて日付が変わって午前二時、という日が現在進行形で続いているからだ。もう年も明けて、一月も半ばを過ぎたというのに、だ。

もともと夫の職場の休日は祝日など関係なく週に一回、日曜のみで、月に四回から五回。だがこの半年くらいはそれすら取れず、休みが月に二度というのもデフォルトになってきた。
平日でさえ帰ってくるのは早くて九時。遅いと日付を越える。

そんな状態でまだ大病せずに仕事に行けることがすごいと思う一方、あちこちぶつけたり痛めたりして身体はつらそうな状態だ。今日もまた日付が変わっても帰ってこず、午前中の十時に帰ってきた。食事と風呂を終え今は泥のように眠っているが、午後三時には起きてまた仕事に向かうという。恐ろしいことだ。

まぁ夫がそういう状態なのだ。妻は当然家庭においてワンオペにならざるを得ない。

我が家には年中さんの娘と、未就園児の三歳の息子が一人。娘は朝の八時に園バスに乗り、二時まで幼稚園で過ごすが、まだどこにも通っていない三歳の息子は、文字通り二十四時間母親であるわたしと一緒だ。
お互いの実家は遠く、協力は望めない。どうしてものとき、わたしは実母を頼るが、片道だけでも車で一時間の道のりだけに、せいぜい月に一回か二回会うかどうかといったところだ。
そしてわたし自身はティーンズラブ小説ジャンルの作家として、執筆活動に励んでいる。つまり、子供を見ながら仕事をしている。

折しも『子連れ出勤』を政府が推奨するという話題が出たばかりなので、いずれは『子供を見ながら仕事をする』の実態に関しても書きたいと思うが、今日はとにかくワンオペでも腐らずにやっていける方法について、だ。

まず初めてに言っておくのは、これにはパートナーである夫、あるいは妻、とにかくワンオペしていないほうの協力が不可欠にな1ってくるということ。

最初に書いたとおり、我が家ではわたしのワンオペ育児がここ半年常態化している。
休日すらない状態だ。娘を預かり保育に向かわせたりしてなんとか仕事の時間は確保しているが、自分のために休憩する時間はほぼない。たとえば子供を夫に預けてちょっと一息お茶を飲むとか、そういう時間すらないわけだ。
毎日そういう時間が続くとどんな良妻賢母でも疲れすぎておかしくなる。常にイライラして子供に当たる、そういう症状が出てくるものだ。不満も当然噴き出す。そしてその不満は、家事育児に協力的ではない夫に向かう。

我が家の場合は仕方ないところもある。夫の仕事が忙しすぎるのだ。肉体労働だから家に帰ってきたらとにかく寝てしまうのもよくわかる。
だからわたしも特に家事をやってとはお願いしない。朝、夫が出かける時間にちょっと余裕があったときのみ「悪いけどゴミを捨ててきて」と、すでにまとめ終えて口を縛ったゴミ袋を渡すのみだ。わたしがお願いしている家事はたぶんこれだけ。
もともと夫は服を脱ぎっぱなしにすることは少ないし、食べ終えた食器も流しに持って行き、食べ残しのさらにはラップをかけておいてくれるから、その手のことで怒ったことはほとんどない。これは彼をこういうふうに育てた義母様に感謝しているところだ。

だがそれでも、家の仕事の九五%はわたしがやっていることになる。いわゆる名前のない見えない家事なんて完全にわたしの仕事だ。こういうのを毎日毎日誰に褒められるわけでもなく、ただただやり続けていたらノイローゼになるというものである。それくらいこの家事というものはやりがいもなにも感じられない。そもそも面倒くさい。

だが、この半年、わたしはなんとかそういう状態をやり続けることができている。なぜか。

理由はただ一つ。夫が感謝してくれるからだ。

つい三日前のことだ。我が家では身体を洗うとき牛乳石鹸を使う。泡タイプやらいろいろ試してきたが、最終的には「これが一番いい」と夫が言ったのでこれになった。
毎日のように使い続けて小さくなる石鹸。三日前、風呂場に入ったらその石鹸が石鹸置きからなくなっていた。おそらく夫が最後に使い切ったのだろう。

わたしはストックしてあった新しい石鹸を引っ張り出し、石鹸置きに置いておいた。
シャンプーが切れていたら入れておく、トイレットペーパーが切れていたら取り替える、名もない家事の代表みたいな作業だろう。
だがこの『その程度』の比重が妻ばかりに傾くと、不満がどんどん溜まる作業だ。実際、夫のシャンプーを妻が継ぎ足していることに、感謝どころか気づいてすらいない夫というのはめちゃくちゃ多い。

気づかれないというのは本当につらいことだ。人間というのは現金なもので、無償でやっていると思うことでも、なんらかの見返りがほしいと思っていることは多いのである。

では、この名もなき家事の見返りはなにがいいのだろう。
おのおの意見はあると思うが、わたしは一言「ありがとう」があればいい。

そして、わたしの夫はその「ありがとう」を言ってくれる。

一昨日の深夜、夫はヘトヘトになって帰ってきた。なにせ前日は会社から帰れず、寝ずに会社でずーっと作業をこなしていたのだ。風呂にも入っていなかった。二日ぶりの入浴である。
彼は疲れた~と言って服を脱ぎながら風呂場の扉を開いた。そしてタオルを渡しに向かったわたしに対し、こう言った。

「あ、石鹸新しいの出してくれたんだ。ありがとう

たった一言だ。このたった一言だけ。
でも、仕事でヘトヘトになって、腰も痛めていて、全裸だから寒くて、一刻も早く湯船につかりたいであろう状態のとき、この一言を言えるというのは、すごいことだとわたしは思う。
同時に、夫がそんな小さなことに気づいて、お礼を言ってくれるということがわたしはとても嬉しかった。新しい石鹸を出すなんてたいした仕事ではないけれど、それをきちんと評価してもらえている気持ちになったのだ。

同時に、毎日のワンオペ育児でわたし自身もそうとう疲れていたけれど、そこからちょっとだけ浮上することができた。
毎日毎日毎日毎日仕事ばっかりで休日も寝てばかり! 子供と遊ぶ時間も少ないし、そもそもゴミ捨てすら最近してくれない! とそこそこ溜まっていた不満が、このたった一言の「ありがとう」で、霧散とまではいかないけれど、ずいぶん薄くなったのである。
代わりに芽生えたのは心配やいたわりの気持ちだ。「毎日こんなにボロボロになるまで働いているのに、きちんとお礼を言ってくれるなんて、優しいひとだなぁ」と思い、「そんなひとにもっと家事やれとか酷すぎるよな……ちょっと反省」と、なんとしおらしくすらなったのである。

それくらい、「ありがとう」の効果は絶大なのだ。毎日いつ終わるともわからない育児と家事にまみれヘロヘロになり、生きている意味なんてあるのかとまで自問するワンオペ中の人間にとって、この「ありがとう」は救いの一言になる。
この一言を言われるだけで「いえいえ、あなたもありがとう」という、お互いがお互いをいたわり、ねぎらい合う気持ちが生まれるのだ。

夫の家事育児の協力を得たければとにかく褒めろ、六割しかできていなくても感謝しろ、と言うけど、これは男女の別なく効果的だと思う。わたしはお世辞にも家事も育児も完璧ではなく、正直六割もできているかどうかというところだが、それでも「ありがとう」と言われるのはやっぱり嬉しい。もうちょっと頑張ろう、という気になれる。

仕事があまりに忙しく家にいる時間が少ない、家事も育児も基本パートナーに任せっぱなし、というひとは、せめて協力できなくても、顔を合わせたときに「ありがとう」と言ってあげてほしい。この一言があれば、つらく苦しいワンオペ育児も、それなりにやっていこうかな、という気持ちにさせられる。そういう点でパートナーの協力は不可欠なのだ。

もちろん一番いいのは、夫婦のうち片一方をワンオペにしないことなのだが、平成も終わろうとするこの時代でもなかなか難しいのが現実だ。だからこそ、お互い「ありがとう」の言葉でねぎらいあっていこう。

少なくてもわたしは、夫のこの一言で、五年続いているワンオペ育児でもなんとか腐らずにやっていけているのだから。
 

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