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足らずを満たすのではなく、動き流し続けてカラにしておくこと

はぁい、ゆかりです🙋‍♀️
『スピリチュアル・インテリジェンス』も5回目!
今回のスピーカーは憧れの職業「定住旅行家」ERIKOさん
素敵すぎた、カッコ良すぎた。
生き様の美しさと謙虚さや大胆さ、柔軟でしなやかな人間性。
衝撃的な真理を、ぐわ〜んと届けて下さったよ、参加できてよかった❤︎

【定住旅行家、とはなんぞや】

毎回、講師陣の方はこれまでに出会うことのないような変わった方(良い意味で!)なのですが。
今回のナビゲーターであるERIKOさんは、モデルさんであり、「定住旅行家」という耳慣れない職業。
字面を見ただけで、大興奮のワタクシ。
どう考えても好きなスタイルの旅生活をされている、と感じて。
もしかすると『スピリチュアル・インテリジェンス』6回シリーズで一番楽しみにしていたかも、な今回が予想を上回る心解ける体験に。

「定住旅行家」とは。
勘の良いあなたならすでにお分かりかも知れない。
一般的な短期観光旅行(能動的旅行)ではなく。
一定期間、その国のその地域のとある家庭にステイし、共に生活をする旅のスタイル(受動的旅行)。
彼女の場合、1ヶ国1ヶ月間で2〜3地域に滞在するというスタイルの暮らし旅。
観光地は敢えて、回らない。
日常的な日々、同じ食事、会話、その家庭との外出。
彼女は10年以上の定住旅行で50カ国に住んだことがあり109家族と共に暮らしたという。
長期的な関係性を繋いで今も尚、再会の旅にも出ているそうだ。
そこが、魅力的。
ずっと繋がる、観光旅行の一時的な滞在では得られない「人とのつながり」
彼女が滞在中に心がけているのは、「いい子であらず、個性を出し、50/50でいること」と。
一時的なお付き合いなら、「いい子」でいる方がラクである。
これは彼女の言葉だが、私自身もそう思う。
相手の言うことに素直に従って自分を出さなければ円満でソツなく、そして何事もなく終えることができるだろう。
だがそれでは、文字通りの関係の「終わり」でもある。
相手にも腹を割っていないことが伝わる。
人付き合いで「いい子」でいては本質的な「友」にはなれないだろう。
そして一般的に旅行者は、現地の人に「教えて、知りたい!」と情報提供を求める傾向に陥りがちだ。
ここでも一方的に与えてもらうだけではなく、ERIKOさんは日本のことやこれまで住んだ国のこと、ご自身のことを、できるだけ現地の言葉で話すことを心がけているそうだ。
なんとも見習いたい。
恥ずかしい話だが、私は自分のことを海外でもあまり話さなかった。
対等ではなかった、と反省した。

【グリーンランドの食から考える】

そんなERIKOさんのお話は実際に生活した者としての視点、日本人としての視点が見事に彼女の個性を伴って輝きを発揮される。
50ヶ国全てのお話を聞かせていただきたいほどだ。

で。
今回のテーマ『スピリチュアル・インテリジェンス』に合わせて、彼女が選んだ国は、「グリーンランド」
人種的にはイヌイットの末裔が暮らしており、デンマーク人との混血の人口も多い。
私たち日本人に外見が似ている。
北米に位置し、天気の良い日は生き物のように蠢くオーロラが毎日見えるそうだ。

ERIKOさんが感じたグリーンランドでのスピリチュアル的な感覚。
それは、『食』にまつわることと、『Sila』という言葉。

グリーンランドでは、朝昼はデンマークスタイルの食事だが、夜は伝統的にカリブー(トナカイ)、カラフトししゃも、アザラシ、マクタック(一角クジラ)を自分たちで狩猟していただく。
彼女が狩りをして捌いたものを食べた時の感想がとても印象に残った。
「不思議と『ありがたい』と思わなかった。ただ「公平」だと思った。」と。

私たちは命を頂戴して、生きている(実質必要量以上頂戴している)。
「ありがたい」「いただきます」日本人が使う言葉であるが、この言葉自体が自然の循環から認識が「外れて」生活していることを如実に物語っている。
自然の循環に生きる動植物は、淡々と命の存続のために食を摂る。
人間のように「愉しみ」「グルメ」で過剰に摂取することもなければ、毎日3食などこれまた余分に摂取するようなことも、全くないのだ。
自分や仲間の命の存続のために必要な分だけ、狩って摂取する
そこに「ありがたい」という想念は、起きない。
なぜなら自然の摂理に則っているから。

そしてその土地の「食べ物」を食べて、その土地の人になっていく。
絆が生まれていく。
食べ物の「情報」を取り入れる、ということ。
食糧を取り込むことは、本質的には「本能」であり、最も霊性(スピリチュアル)な行為でもある。
しかしながら、人間のそれは自然から外れてしまっている感が否めない。
スーパーでパックに詰まった何を食べているかよく分からない動物の肉や魚を、人間は食べている。
グリーンランドにもスーパーのようなものもあるにはあるが。
「分からないから、不安だ。」と現地の人は話す、とのこと。
自分たちで狩り、捌くと、その動物が何を食べているか、知ることができる。

そして現代日本の特に都会の生活では、嫌な人ソリの合わない人がいたら、付き合いを断つことができる。
しかしグリーンランドでは、そうはいかない。
下手するとコミュニティの中で人生中ずっと付き合いが続く。
グリーンランドの人たちは食や土着性を通じて、「いやでもいつかは許す」という感覚で暮らしているのだという。
だからこそ、グリーンランドの人たちは一人で自然との関係を繋ぎ直すことを大事にしており、そこから人間関係を繋ぎ直すことに真摯に向き合っているのではないか、というような内容をERIKOさんは話された。
なんだか、身に詰まらせる話だ。

【『sila』とは?】

この言葉の意味が、すごい。
日本語に敢えて訳すると、以下のような意味を全て含む。
季節、天氣、屋外、頭の中、知性(インテリジェンス)、理由、神、fate(運命、定め)

このように「スピリチュアル」をにおわせるような多義を含んだ一言があり、言語である上グリーンランドの人たちが共通認識として持っている感性である。
なんとも素敵。
訳する上で、私たちの感覚と差異が出てしまうことは、承知していることとはいえ、もう響きだけで神聖な感じがする。
日本語で共通認識を持てる言葉ってあるのか?
ふと考えさせられた。
「スピリチュアル」自体が、日本語ではない。
現代の日本人は、すっかり西洋逆輸入版の方が信じやすいという、すっかり意図的な認識の仕方が刷り込まれてしまっている。
言及が複雑難解なテーマに展開しそうなので、ここで留めたい。

『sila』の感覚を、ぜひ、現地の大自然とその中で共に暮らす人々と分かち合ってみたいものだ。

【イランの死生観】

それから、もう1ヶ国。
イランの「死者」との向き合い方がとても日常的だった。
毎週木曜日にお墓参りに行く習慣があり、「お墓参り渋滞」が起こる。
お墓に集まり、「悲しみの動作」をとり、故人の死の悲しみを共有する。
お墓は生きている人と死んでいる人が、出会う場所なのだ。
そして故人がどんな人だったか、故人が生きていたら今なんと言うか、などを話す。
それは、死してもなお、日常的にずっと「対話」を続けていく、ということ、死と向き合っているということ。
ERIKOさんがある家庭を訪問した際に、家族の紹介として亡くなった方までも延々と紹介されたそうだ。
私は不思議な感覚に陥った。
言語化すると非常に妙だが、こうだ。
「死」が生活の中にしっかりと息吹いている。

そして、本当に死ぬ間際までも「結婚」をしようとするそうだ。
死別して、それこそ90歳を超えても、認知症になっていたとしても。
なんとも可愛らしいと思いませんか?

【結びに代えて】

ああ。
こんなにも私が全く知らないことが世界にはまだまだたくさん、ある。
訪れていない土地、まだ見みえぬ友たちがたくさんたくさん氣が遠くなるほどに。

『学び』とは、インスタント(使い捨ての)知識や情報をインプットすることでは、決してない。
簡単に情報が手に入る現代。
昔は怪しまれていたいろんなことが、現代では常識にすり替わり、ひどい話「ブーム」になろうとすらする。
心理学などの心の分野でも、そんな風潮が垣間見られ、私は胸が痛むし、人間であることに苦しみを感じる。

だが、私も人間である。
過程の中である、どんどん変わりゆくことは、世界や社会や取り囲む人々だけではなく、私自身もその渦の中に在るのだ。
問いの答えを掴んだことにせずに、ずっと「問い」を立て続け、その答えを求め続ける
わかったつもりにならない、だって本当にわからないことだらけだから。
足らずを埋める充すことに充実感や達成感を求めずに、常に動き流し続けて寧ろ「空」になるこそ、今この時の自分や目の前の人、現象を「うけたもう」ことができるのだろうか。
そして最も重要なのが、動き流し空にしたとしても、なかったことにはならないこと。
エネルギーや余韻が体験としてきちんと身体の叡智となり、実りを結んでいるのだ。
それはとても簡単なことには思えない。
どうしても内側に入ってきたものに「固執、執着」が、ある、と感じている。
その認識は確かに私の内側に存在している、と意識している。
だがそれでも私は。
「流す」ことを恐れず、留まったり停滞したりする相変わらずの自分のちっぽけな「固執・執着」をそっと抱きしめたあとは、留めずにただ流して眺めていきたい。

最後まで長文を読んでいただき、誠にありがとうございます
とても熱がこもってしまいました。
心が解けて封印を解こうという風に揺さぶられて、言葉になって流れ出した感覚です。
何かあなたの心の封印を解くきっかけとなれば、幸いです。

誰かの言葉や、どこでも手に入る情報や知識を鵜呑みにせず、自分にとっての真実を問い続ける、それを忘れずに、日々過ごしたいものです。

あなたの明日が今日よりも、軽やかで素敵な1日となりますように。
心から祈ります。
今日も感謝です。


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