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レンブラントと江戸時代

 レンブラントと言えば、代表作『夜警』や自画像、肖像画、聖書の場面を油絵で描いたオランダの画家として有名だ。しかし、レンブラントは、油絵だけの画家ではない。たくさんの銅板画を残した銅版画家でもあり、その銅版画の多くを、和紙で刷ったという。「あのレンブラントが和紙を!?」と少々を驚いたが、レンブラントの生年を確認すると1606年、亡くなったのは1669年だから、レンブラントの生涯は、江戸幕府の始まりとほとんど重なっている。江戸幕府は、オランダと通商関係にあったから、よく考えれば、オランダのレンブランドが和紙を使っていても、それほど不思議ではない。レンブラントと和紙の関係を研究された貴田庄氏によれば、1643年~45年までのあいだに、長崎の出島から運ばれた和紙のあるものが、1646年にレンブラントの手に渡り、版画用紙として使われ始めたのだという。代表作『夜警』が完成したのが1642年だから、その数年後の話である。

 さて、レンブラントが生まれて2年後ほどの1608年のオランダでは、眼鏡師リッペルスハイが望遠鏡を発明し、そのニュースがまたたく間にヨーロッパにひろがった。それをきいたイタリアのガリレオ・ガリレイが、1609年、自分で作った望遠鏡を使って天体観測を行った。望遠鏡が日本に渡ったのは、オランダでの発明から5年後の1613年。イギリスの使者が家康に「遠目金」すなわち望遠鏡を一本献上したという。その後も次々と日本に望遠鏡が輸入されたらしいが、天体観測に望遠鏡を利用した最初の日本人は、貞享暦や、地球儀や天球儀をつくった渋川春海だったという。渋川春海が生まれたのは、レンブラントが和紙を手にする7年ほど前のことであった。

参考文献その他
・『レンブラントと和紙』貴田庄著、八坂書房、2005年
・『天文学者たちの江戸時代』嘉数次人著、ちくま新書、2016年
・企画展「渋川春海と江戸時代の天文学者たち」2015~2016年 国立科学博物館HP

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