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ごあいさつ

初めまして。しみずだにゆかと申します。
私は1993年亘理町荒浜の漁師の家に生まれ、幼い頃から海や生き物に親しんで育ちました。3人姉妹の末っ子で、マイペースですがとても負けず嫌いです。

地元荒浜小学校では休み時間はほとんど友達と絵を描いて過ごすインドア派でしたが、通学路の花の蜜を吸ったり河川敷で草むらに紛れて秘密基地ごっこをしたり、自然に触れる機会は多かったと記憶しています。当時は英語を話せることに憧れて、英語教育に力を入れていた聖ウルスラ学院英智中学校を受験し、そのまま内部進学して聖ウルスラ学院英智高等学校で六年間過ごしました。

生物が好きなことはずっと変わらず、これからも自然や海をフィールドに学びたいと思い北海道大学水産学部を志望しました。高校3年生の受験の年に東日本大震災があり、未曾有の災害を目の当たりにする中でこれからどう生きていくか?と自分の人生について初めて向き合った経験でした。

親、親戚、知人、行政、民間企業から受けた沢山の支援のおかげで無事に大学進学できることが決まり、後先の見えない状況ではありましたが不自由なく学生生活を送ることができたことは非常に恵まれていたと思います。亘理から遠く離れ安全な北海道で過ごす学生生活の中で、地元のため、漁業のために何かできないかという気持ちが大きくなり、北海道大学水産科学院を卒業した後は亘理町で家業である漁業を手伝うことを決めました。

荒浜地区で暮らし、海洋環境に大きく左右される厳しい水産業の現状を目の当たりにする中、一次産業を元気にするには地域全体で活気を取り戻さなければならない、そのためには、行政のバックアップが必要不可欠と思うようになりました。

漁業者の声、水産業者の声、荒浜地区で暮らす人々の声をもっとアピールしていかなければなりません。東日本大地震から、亘理町は復興したと言えるのでしょうか。生活の水準やインフラを元に戻すだけでは、刻一刻と変化する現状から取り残されていくばかりです。ただでさえ今は著しいIT化、AIの台頭、革新的な技術の発展など恐ろしいほどに社会は変わっていきます。コロナ禍はやっと終わりが見えてきましたが、変動する日々の生活に対応していくだけで精一杯ではいけないのではないでしょうか。

亘理はもっと良い地域になると思います。
震災があったから、コロナがあったから、温暖化だから、少子化だから、そんなことに負けるような事態にはしてはいけません。
そんな「もったいない」町ではないと思います。
できることから少しずつ、これからも活動していきますので、何卒応援よろしくお願いいたします。


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