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[#髪を染めた日] オッサンの昔話 第25話 ~脱色くん~

https://note.com/yuki1192/n/n08aeb50014b8?magazine_key=m6b3b9ca1ffeb

中学生くらいの時期って不安定ですよね。ボギャー!ホゲー!とやっていれば良かった小学生までと違い、ちょっとメンタル的に大人になってきて、他者と自分を比べるようになります。それはつまり集団の中で「自分は何者なのか」、どういうポジションなのかを意識し始める時期だと思います。優劣を強力に意識しすぎて病んだりもしてしまいます。そしてなるべく「優」のポジションにいたいなあ、「劣」の側にはいたくないなあとなりますよね。そこでその「優」ポジションに行くために一番身近な方法が、見た目をいじることだと思います。勉強とかスポーツは努力が必要ですし、疲れますもんね。さらに見た目いじりの中でも、オシャレはお金やセンスも必要になってきて、これまた努力が必要なのです。そこで、1990年の東京多摩地区の我々にとって最も簡単に「優」に行く方法が、不良化することでした。当時は不良ブームだったのです。不良がかっこいいという時代だったのです。

https://note.com/yuki1192/n/n1c0e5f64edb7?magazine_key=m99be84dd6d2f

漫画に描いたとおり、その頃は髪を染めるという文化がほとんどなかった時代でした。一般人も芸能人もみんな黒髪でしたし、男性が美容院に行く文化もありませんでした。女性の場合、美容院に行けば染めてもらえたと思うのですが、染髪の技術がまだ低くて髪が結構痛むので、現代のようにおしゃれで髪を染める人はほぼいませんでした。そのため、中学生が髪を染める(正確には脱色する)というのはレアで、「クール感」「ヤバイ感」が結構上がったのです。今で言うと見える場所にタトゥーを入れる感覚に似ていると思います。全身ジャージでも、タトゥーが入っていればちょっと「ヤバイ感」があって「俺ってクール!」となりますよね。ちょうど↑↑で書いた「自分は何者なのか」が簡単に手に入ったのです。

https://note.com/yuki1192/n/nc3ba7ea1efd6?magazine_key=mf3a1e183c1d5

ここまで読んで、大半の人は「くだらないな~」と思いますよね。不良ぶって髪を染めて自分は何者なのかが手に入ったところで、そんなのは表面的なものです。本当に勉強やスポーツが出来たりオシャレセンスを磨いている人のほうが真に何者かになれていますし、その過程で色んな経験もして人として深みも増しますし、その後の人生にも役に立つのですから。そもそも不良は周りに迷惑をかけるので、そんな「何者か」はいないほうが平和です。

https://note.com/yuki1192/n/nd5129f829262

でも、自分は思うのです。我々は基本的に弱い存在です。特に中学生の不安定な時期は、ちょっと「きもーい」などと言われただけで深く傷つくのが普通です。たまに強いっぽい人もいますが、そのほとんども強く見えるだけで本当は弱いのではないかと思います。子供でもいられないし、まだ大人でもない、自分が何者でもなくて劣等感に飲まれないようにウウウ…となりやすい、現在の我々オッサンでいえばリストラされて社会に居場所が無い状態に近いのですから。しかもオッサンはまだ職安に行けばいいわけですが、中学生はそもそもの選択肢が少ないのです。そんな弱い存在が、自分への愛情を保つために、欲しくもない劣等感を持たないで済むように、手軽な方法に飛び付くのは、そんなに不思議なことではないと思うのです。むしろ、やたら現実的になって「こんなの表面的なだけで、本当の自分には何もないじゃないか!」と考えるほうがよっぽど心に毒です。そもそも本当の自分に何かある人なんて大人でもあまりいませんし、それは逆にみんな本当の自分に何かがあるとも言えるのです。あるorないなんて主観的な考え方ですしね。なので、若くて不安定なうちは表面的で勘違いでもいいから、自分で自分に「クールだぜ!」と言い続けているくらいでちょうどいいと思うのです。どのみち大人になったら現実的にならなくてはいけなくて、そこで強力な優劣の意識にさらされてしまうのですから。

https://note.com/yuki1192/n/n50267e4917f2?magazine_key=m0b7b30a5d458

そこでは不良かっこいいなんて通用しませんし、手軽に「優」の側に行ける方法もありません。そもそも努力できる/できないにも才能が必要ということに気が付きます。そして人間は、みんながみんな努力できるような強い生き物だとも思えません。なので大人になると基本は「劣」の側にいて、それに飲まれないように毎日やりすごすものなのではないでしょうか。その時のために、子供のうちに心に「優」の貯金をしておくのです。嫌な上司にいじめられて「くっそー」となっている間、心の中で例えば「まあでも俺のほうがクールだもんね!」とか「私のほうがモテるもんね!」とか言えるようなマインドセットをしておくのです。

…というふうに思うのは、現在の私自身が社会からはぐれたよくわからないおじさんなのに、自信満々でこう自分の考えを発表するキャラになれているからです。実際は何もない子供でしたが、不良ブームに乗っかることで大きな劣等感を持つことも無く済みました。それによって現在、内面全開の漫画を恥ずかしがらずに描いて、読んだ人が「面白い漫画だなあ」「このおじさんは変なことを考えているなあ」と楽しめているのはすごく良いことですよね。自分も楽しいです。しかも英語でも描いているので、楽しませている人の数と種類は倍々です。逆に私の妻ちゃんは、仕事面も努力値も優秀で、社会にバッチリ貢献しているのに、自分に全く自信が無く、薬を飲まないと美容院にも行けません。それは子供の頃から「現実」を押し付けられてきたからです。具体的には何かを達成できても親から「そんなのは私もできるからあなたは大したことない」と言われ続けてきたことです。↑↑でも書いたとおり、本当の自分に何かがあるorないは主観的なものです。だから私が私自身に何かがあると思えばありますし、私が妻ちゃんにあなたには何かがあるよと言っても妻ちゃん自身がないと思っていたらないのです。であれば、くだらなくて表面的でもいいからあるって思いこんでいたほうがお得ですよね。ちなみに私の最近の「クールだぜ!」は、歳をとって髪質が弱ってきたのか、地毛が茶色くなってきたことです。しかも春夏の日差しでも退色するようになって、天然で結構な茶髪なのです。しかも髪を伸ばしているので妻ちゃんには「なんかおばさんみたいなおじさんだなあ」と言われますが、私の「クールだぜ!」は揺るぎません。中学生の頃も45歳の今も、髪を染めるってお手軽クールで良いものですね。

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