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[#天職だと感じた瞬間] アイ・アム・ア・謎のお手伝いおじさん

私と妻は二人でペットのトリミング(ペットの美容院のようなもの)のお店を開いています。トリマーの妻がメインで、私は謎のお手伝いおじさんです。トリマーの仕事は主にペットを洗って毛をかわいくカットすることです。謎のお手伝いおじさんの仕事は主にペットの洗い&カットのお手伝いとお店の掃除、経理、買い出し、家事、そして妻のメンタルケアです。共にそれが天職だと思っています。そのおかげか、お店はけっこう繁盛しています。

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天職とは、その仕事が好き&資質的にも向いていることだと思います。まず「好き」の部分で見てみると、妻は小さい頃から動物全般が好きです。たくさん動物の種類や特徴も知っていますし、毎週一緒に公園に鳥や魚やザリガニの観察をしに行きます。テレビ出演したこともあります。ただ、仕事における「好き」はそれだけではないですよね。何かトラブルがあった時、「は~嫌だ嫌だ」とならずに「どう解決しようかな」となるのが、仕事としての好きだと思います。言い換えると、普通の人が嫌なことでも嫌でないということです。例えば家で妻は、皮膚の状態が悪い犬向けにアレルギーやシャンプー、フードの栄養素の勉強をよくしています。これは1円にもなりませんし、そもそもお客さんを増やすためにしているわけでもないです。皮膚病でかわいそうな犬に対して解決策を探すためだけにやっていることなのです。普通、家でも仕事のことなんてするのは嫌ですよね。また、トリマーの仕事は人間の美容院と違って結構汚いです。何か月もほうっておいてにおいの強力な犬もいますし、あと必ず犬のお尻の穴をしぼって肛門腺という謎の液の処理をしなくてはいけないのです。うんちのついてるお尻から謎液です。これも普通は嫌だと思います。

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あと嫌がる犬だと噛まれます。最初の頃は腕が傷だらけになります。これも痛いし嫌ですよね。

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その他にもいろいろ大変なことが多いのですが、全くそれを嫌と思わないのが、妻の動物に対する「好き」の力です。

その一方、お手伝いおじさんは動物はまあまあ好きというレベルです。動物への「好き」の力はほどほどなのに割とお手伝いを頑張れています。それは妻への「好き」の力です。私の妻はちびまる子ちゃんみたいな性格で面白いですし、見た目も好みです。普通、夫婦で毎日一緒に仕事、しかも犬に嚙まれたり謎の尻液をしぼるのはきついですよね。それプラスお店の雑務や家事も8割くらい私がやります。そして最も大事な仕事、それは妻のメンタルのケアなんです。妻は子供の頃から心も体も病んでいます。物事に敏感で傷つきやすく、ネガティブ思考で、常にいろいろなことを心配しています。そこで私は毎日励ましたり大丈夫感を与えたり、心配そうなことは先回りして解決しておきます。

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普通はたぶん面倒ですよね。いつも同じことを心配している人に対してはイライラする人のほうが多いと思います。でも私はあまりそれを面倒とも嫌とも思いません。それが妻に対する「好き」の力ですし、それがあるから犬の尻穴しぼりも嫌でないのです。さらにそれにはもう一つ理由があります。後ほど説明します。

次に天職のもう一つの条件、「資質的に向いている」ですが、それはカットの際の手先が器用とかメンタルケアの際の世話好きとかの表面的なことではありません。もっと個人の本質に関わることです。妻の「動物好き」の場合、妻は小さい頃から心と体を病んでいた上に理解者もいませんでした。それは自分への「無価値感」につながります。無価値感とは、自分は生きる価値の無い人間だということです。みんなは健康に学校に行ったり友達と遊んだりができるのが普通ですが、病気でそれができなくて、さらに誰からも「無理せずあなたらしくいれば良いんだよ」とも言ってもらえなかったのです。すると自分は無価値だとなっちゃいますよね。私と知り合ってからは私が価値あるよ価値あるよと言っているのですが、「三つ子の魂百まで」の通り、現在までなかなか消えることはありません。

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しかし、犬って「かまって!かまって!感」が強いですよね。しかもペットですので全体的に「あなたがいないと私は何もできない」感も強いんです。そこが妻の無価値感に強く響くんだと思うんです。この子たちは私のことがいつも好きだし、私がお世話する必要もある、つまり自分に価値が生まれるのです。そうすると、例え噛まれようが謎の尻液だろうが苦にならないですし、ペットの病気や健康ケアに対する勉強のモチベーションにもなるのです。無価値感という本来ネガティブな本質が、すごくポジティブなことに転じているのです。苦労をバネにするという言葉があるように、こういう現象って結構ある気がするんです。

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そして一方、私がその妻を支えることにも「資質的に向いている」と感じる理由があります。私の場合、両親は共働きで主におばあちゃんに育てられました。おばあちゃんのことは好きでしたが、しつけに厳しかったので軽く緊張感があったんです。そして母はいつもボケっとしててニコニコしていて多少食べ物で遊んでいても許してくれそうな安心感がありました。1,2歳の頃の記憶ですでにそういう感覚がありました。

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でも、共働きなので若干の母不足、安心感不足があったんだと思います。そしてそれは「見捨てられ不安」につながります。さらにそれを「自分が無価値だから」と結び付けることにもつながります。幼児は世の中のことを知らないので、母がいない=見捨てられた=自分が無価値だから、とシンプルにつなげてしまうということです。そしてその無意識の記憶があるから、妻の抱える無価値感に共感することができるのです。さらに妻が犬の世話をすることで自己の無価値感を埋めていたように、私も妻の世話をすることで自己の無価値感が埋まるのです。(軽い共依存だと思います。)

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さらにもう一つ、私を育ててくれたおばあちゃんは若い頃苦労していたからか、体の弱い人でした。小さい頃一番近くにいた人が弱い存在だったため、私の基本には「人間とは弱いものである」という刷り込みがあります。それも妻をメンタル的にも物理的にも支えている大きな理由なんです。というか、理由ですらない、すごく自然なことです。特に妻でなくても、弱っている人には手を差し伸べます。そして妻自身も、弱っている自分を弱い存在であるペットに重ねているのかもしれません。そういうところにも共感します。

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天職はなかなか見つからないものだと思います。私はその理由の一つは、職業に名前がつきすぎてるからだと思うんです。名前って一種のカテゴリー分けですよね。でも人間は色んな本質を持った人がいて、カテゴリー分けはできませんよね。私の「お手伝いおじさん」も、本来そんなカテゴリーも職業も存在しないわけです。だからこそ、自分の本質に従って日々働けているのです。妻も同じで、自分の本質に従っているからこそ、お店での仕事が終わった後も家で勉強をしているのだと思います。漫画家もロックミュージシャンもお笑いタレントも一番最初はそういうカテゴリーが存在しない、自分の本質から始まった職業だったのではないでしょうか。

最後に、私はこの文章の最初のほうで「我々のお店はけっこう繁盛している」と書きましたが、天職はお金儲けのことはあまり関係なくなります。そもそもお金儲けもカテゴリー分けの一つですよね。カテゴリー分けされた幸せです。本当は人それぞれの幸せがあるはずです。そんなことよりも、我々が日々充実しているから良いサービスを提供できていて、犬とお客さんも良い気分にできて、それによって妻の自己無価値感も減るかもしれない、そう思える瞬間が私にとっての幸せです。そう気づけたのはここ10年くらいのことです。もちろん謎のお手伝いおじさんが将来の夢だったわけでもありません。現代はどちらかというとカテゴリーにはまるほうが安心する時代だと思います。逆に私は小さい頃から若干世間ずれしていたので、そういう謎方面の考えをするようになったのだと思います。これもネガティブな本質が、ポジティブに転じたということなのかもしれませんね。最後まで読んでくれて、ありがとうございました。


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