見出し画像

エルゴの抱っこ紐

何でか突然さわりたくなった。あの柔らかくてしっかりした私と子供をくっつけてた青い抱っこ紐。

生まれる前からあれこれ悩んで購入して。生まれてからお出かけの際はベビーカーだと泣くからとにかく抱っこ。エルゴは毎日子どもを、私を支えてくれてた。子どもの体が大きくなって収まらなくなり手放した。
子育てエッセイとか読んだあと、読後のブワーって感覚とあの抱っこ紐をおもいだす。

最初おそるおそるつけてたエルご。
首も座らないふにゃふにゃの体は、
エルゴのなかでも丸まるから、
これでいいのかしら?
背骨が曲がったらどうしよう?
股関節に影響でたら…
なんて色々悩んだものだ。
おんぶに移行する時、これまた今までとちがう動作が必要になって
やっぱりビクビクしながらおんぶして、
鏡で何度も負われた子をチェックしてた。

そんな子が、ねがえりして
はいはいして、たって、あるいて
それでもしばらく、エルゴに抱かれたがっていた。
私はそのたび「こしがいたい!」と笑いながら
あの青い抱っこ紐を腰に装着。
抱き上げて、家の中を歩き回って
おでこの熱っぽさが胸に当たるころには
スヤスヤ子どもは夢の国。

可愛いなぁ。愛おしいなぁ。

腰が痛いけれどずっとこうしていたいなぁ。
そう思って寝顔を見つめた日が今や懐かしいなんて。


「抱っこ紐やだー」

体が大きくなって抱っこ紐を嫌がるようになった。
相変わらず抱っこは好きだけど、紐はいらないのだそう。
もう入らないもんね。

それでも名残惜しくてリビングにしばらくひっかかっていたエルゴ。
2人の赤ちゃんを幼児まで支えたエルゴはもうボロボロ。
役目を成し遂げたよ、って言わんばかり。

今までありがとう

そういって、さよならしました。
手放す時もギューって気持ちがしたけれど
今も思い出すとギューってなる

ギューってなるのはちょうど抱っこした
子どもの頭があたる胸の上あたり。

もっとしっかりお礼して写真撮ったりすればよかったな。

物を取っておくのが苦手な私。
時々お別れの仕方を淡白にしすぎて後悔することも、まぁある。

子どもを産んでからたくさんの出会いがあった。
つまり、今までよりハイペースで
たくさんのお別れがあるわけで。
わくわくするような、寂しいような。

出会いがあって、お別れした後の無には
出会いも何もなかった元々の無とは
違う色あいが、そこにはある。

寂しさでもあり、味わいでもあり、優しさでもあり。
わたしにしか見えない風景が、その無に詰まっている。

この胸のザワザワする感じや
キューってなる感じ。

生活の中で拾い忘れてなくしちゃうけど。
こうやって時々形にする作業があると良いなと思う。

お別れを、「起きたこと」から「経験」に変えてくれる気がするから。

そして「経験」って「感謝」のきっかけになる。
周りが与えてくれていることに気づくためのセンサーって「経験」により育てられる気がしてる。

エルゴに怖々おさめて抱っこした日を
今はまだ鮮明に思い出せる。

この思い出は、2人を怒ってしまったあと、
反省してギュってするきっかけになったり

やらかした2人をみて「やらかせるまで成長したのね」なんて余裕を取り戻せるきっかけになったりする。

エルゴの記憶から生まれたての2人の思い出に胸を馳せ、
目の前の2人の寝顔を前に込み上げる愛おしさに
ただただ感謝したい

なんの変哲もない1日の始まりなのでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?