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息子がASDと診断された日

「息子さんはASDですね」

2023年4月、診察室で対面した医師はこう言った。
医師のあまりにもカラッとした物言いに私も釣られて笑い

「やっぱりそうですよね。うちの子はASDだと思ってました」

と言った。
私はその瞬間、肩の荷が降りた気持ちだったのだと思う。

自分の子供に発達障害の診断がつく瞬間というのはもっと重々しく、地獄の底に突き落とされるような気持ちになるものかと思っていた。

振り返ってみると、発達外来の診察にたどり着くまでの道のりはとても長かった。
幸い夫は療育に関しては肯定的だったが、かかりつけ医に息子の発達について相談すれば「男の子は言葉が遅いこともありますしね」と言われ、周囲の人には「そのぐらいの子はいくらでもいる」と言われる。

息子にとって適切な支援を獲得するために、私はそれらの声に争い続ける必要があった。

ASDの診断がつくことで、今後私はそんな声と戦わなくても良いのだと胸を撫で下ろしたのだ。

医師は続けて私にこう言った。

「ここで診察をしているといろいろな親子がやってきます。周囲の無理解に困り果てて関係が悪化してしまった親子もたくさん見てきました。
でも私の目から見て息子さんの困り感は少ないように見えます。お母さんの理解と努力のおかげですね」

その言葉に涙が出そうになった。

私は初めて参加した親子教室でペアレントトレーニングを学んで以降、図書館の本で子供の対応を勉強し、発達障害に関する書籍も多数読んだ。
努力しても努力しても、「普通の子」には追いつけない苦しみから息子を少しでも救う方法を求めていたのだと思う。
けれど私の中ではそれは母親として当然のことで、自分がやるべきことだと思ったのでやっていた。

それを言葉にして認めてくれたのはこの医師が初めてだったのかもしれない。

診断を受けた時、当の息子は私の横で1から100までの数字を数えていた。
数字が好きなのはASDの特性由来のものなのかもしれないが、実に息子らしいと愛おしくなる。

診断を受ける前と後で息子を愛おしいと思う気持ちは私の中で何ら変わりなく、揺るぎない物だった。

【ASDの診断がつくまで】

気になる人もいると思うので、息子の診断がつくまでの経緯について簡単に振り返ってみようと思う。

【0歳〜】
3ヶ月で寝返りをして、歩きはじめは11ヶ月だった。
発達は概ね順調でそれほどの違和感を感じたことはなかった。

【1歳〜】
早い子なら言葉が出る子もいるが、うちの息子は単語も出たと思ったら消えたりを繰り返していた。

【2歳〜】
数ヶ月に渡って夜泣きが続く。
発語は単語は少し。
ただ、2語文がなかなか出ないので2歳半で発達相談に行く↓(発達相談に行った話はコチラから)

3語文は2歳10ヶ月の時に喋り出した。
言語以外で気になる点は私から離れることを極端に恐がる。
外では喋らない&自己主張しないので大人しい子という印象。
40分ぐらいなら椅子に座っていることも可能。

【3歳〜】
プレ幼稚園へ入る。
3歳を過ぎたあたりから言語以外の部分でも違和感を感じはじめる。
家族以外の人間と喋る時はほぼ目線が合わない。
何度も同じ言葉を繰り返したりする。
順番に関するこだわりが出始めて、自分の思う手順で物事を進めたがる。

この子は発達障害かもしれないと思って書籍を読み始めたのがこの頃。

【3歳4ヶ月〜】
プレ幼稚園で馴染めず、面談に呼び出される。
それがきっかけで療育に行く決意をする。

幸い住んでいる自治体は診断がなくても療育に通えたので比較的スムーズに療育に行けた。


(プレ幼稚園で呼び出された話↓)


(療育についての話↓)

3歳半ぐらいになると、恐らく息子はASDだろうという確信が自分の中で出てくる。
自分の興味がない相手に話しかけられると反応しない(気付かない)などコミュニケーションでの問題点が増えてくる。

3歳半の時に3歳児健診があり、その時の担当保健師に
「どうすれば医療機関に繋がれるのかわからないし、このまま就学前まで医療のフォローがないのは不安だ」
と訴えたところ、保健師が内科健診の先生に伝えてくれてあっさり医療機関の紹介状を書いてくれた。

発達外来は半年待ちだったため、3歳11ヶ月でようやくASDの診断が出た。


振り返ると、うちの息子は3歳以降特性が濃く出てくるタイプだったのだと思う。
育てにくいタイプだったかというとそんなこともなく、2歳台は言葉が遅れているだけだと思っていた。

プレ幼稚園に入れてみて、集団に馴染むことの困難さが浮き彫りになり、療育に繋がったのだが、そのおかげで半年間就園前に集団行動の練習ができて良かったと今では思える。



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