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究極に、僕は自信がない。

こんにちわ!段々と寒かった風が涼しく感じる日々になりましたね。

最近、自分は前田塾というプログラムに、参加した。
何か急に思い立って。ビジネスを学びたかったのもあるかも
しれないけど、気づきとしての本質はそこじゃなかった。

自分に照らし合わせつつ気づきをまとめてみました。

1.最近の焦り

自分は社会人になって、よく謝ってるなあと感じる。
なんだか学生の頃のほうがよっぽど自分が好きだったし、堂々としてた。
うん、もう少し覇気もあったと思う。

ある程度有名な人材会社に新卒入社して、仕事できな過ぎて昔からのトラウマも影響し上司と上手く関係性作れな過ぎて、自分が嫌になって、円満とは言えない感じで辞めて、次の場所はコロナ事情で終了。
もうこれからは、ライフワーク求めて探求する期間を敢えて作ってはいたけど、常時消えない”このままで良いのか”感。

焦るのは、よくない。
あるものはある、なるようになる。
必要なモノは、守って、不必要なモノは手放す。
ことを意識はして、上手くいくときもありつつ消えないのは根本にあるのは自信の無さ。

そんな中、いくつかコミュニティに関わっていく中で、
”どう生きていきたいのか願うこと”
”小さなことからアクションに移していくこと”
”守破離で大事なものを守って、そして手放すこと”

を意識して、ちゃんと嫌なところも向き合えるようになった、やっとね。

まだまだだなって感じだけど。

2.わからないが言えない。

改めて自分に思ったのは”わからない”が自分は言えないこと。
前ちゃんも最後に言ってた”わかったふりは大罪”。
やばい、大罪を常時犯してる。

3日間わからないことだらけで見事なまでに、思考停止していたのだが、
結局それってわからないってことをその事実がある自分認められてないから。

まだ、ありのままの何もない自分を受け入れられない気持ちが事実あって、
わからない事実があると、ただただ苦しい思考になる。

だから、受け取ってもらえなくなると悲しくなってその場やその人に話さなくなるし、ちょっと素っ気ない態度取られたらすぐに寂しくなるし、居場所を求めて探して動き回るし、相談を受けてる自分の方が楽だから気がついたら受け身だし、相手がどう受け取るか考えすぎてハッキリ伝わることを避けるしで、根本そのまんまの自分だと自信がないんだよね。

「ここはわかっているけど、ここはこの部分がわからない。」
って今のモードを素直に出せてたら楽なのにな。

3.自信がないことは、相手に関係ない。

自信がないのは、目の前の相手には関係ないし、「エゴ」なのかもしれない。
自信がない人って、過去の成功にひたすら浸って自慢して、挙句の果てにはマウントを取って、自己紹介も長い。
自信がないことが悪いとは思わないけど、それって自己中心的だなって。

自分の能力をちゃんと信じられないとしても、相手が自分に対して向けてくれた好意や期待や信頼は目の前の相手のもので、自分の都合でそれを受け取らないのは失礼。
自信をもつのが先なのではなくて、相手にリスペクトをもつのが先だと思う。

「自信がない」と言う人の多くは、そのあとに「だから〜できない」と決まり文句のように続く。
そしてそれは大体できなかったときに自分が困るのではなくて相手に迷惑がかかると思っているし、自分の行動よりも結局他人にどう思われるかの方が大事だったりする。

自分の行動を信じるかどうかと、他人にどう思われるかを関係ないとして切り離して考えることができると、自信をもつことよりも他人の評価で動かないことのほうが大事なのかなって思った。

4.やりたいことやれるはずだったのに、一度も仕事にワクワクしてない。

前ちゃんが事前と事中に自分に話してくれたキャリアについての仮設が全て的を得ていて、武者震いを感じた。
社会人になる直前は、ある程度仕事が楽しみだった。
蓋を開けてみると、何したいのかわからなくなって、納得感が見いだせない。自分でもよくわかってないこだわり・必要ないプライドが邪魔をする。

学びに責任をもて。
これ本当にそうで、痛いほど刺さって自分に欠けてるなって感じた。
責任をもつということは、主体的であることな気がしてて、
学ぶことは仕事である限りプロとしての学びが必要で、
そこに根性、感情論などなど関係ない。
主体的であり続ける必要があるなって思ったし、自分としての正しさをもち合わせていきたい。

4-①.貪る

合宿では、貪ることを徹底的にした。というより、最初はやれてなかったけど、やらないとこの場が無駄に終わるなって思った。
やらされてるわけでないけど、この機会を損失したくなかった。

自分の悪い癖で、納得感が大事とか調子に乗ったことを言う割には理解する一歩手前で、投げしてしまうことがある。これ、本当徹底して直す。

4-②.消化する

自分事だと、「え、結局何が言いたいの?それってどういうこと?」という人からの返しがお世辞にも多い。これがくると、受け取ってもらえない..。って一人で悲しくなってたんだけど、今思えばそれもエゴ。

自分の場合2つあって、一つは、多分主語や述語がぬけてる。
思うに、主語や述語が抜けるのは、ただただプライドがあるだけ。
年下も年上も成功も失敗も自分がどう在りたいかには関係ない。
無いに等しい守りたい自分の立場になんかしがみついてられん。

もう一つは、勝手な解釈。まさしくエゴなんですが、綺麗事で
寄り添うとか言っておきながら、これぐらいでいいだろうの身勝手な
妥協が入る。妥協って言葉めちゃ嫌いだけど、無意識で多分してる。
ここはダメダメだわ。ちゃんと自分で選択で、本質を捉えたい。

4-③.発信する

人に伝えることそのものは、全然苦ではない。むしろ好んでやる。けど、伝えると伝わるは全然別物でしか無い気がしてて、人に届かない。前ちゃんが、「伝わらないのは、論理性に欠けるから。」って言ってたけど、自分ごとだと本当にそうで。もう脈絡がハチャメチャなときがまあある。点と線で伝えられるように、責任をもって学んだことには自分への責任を取るために、伝えていきたい。

5.起こった事象を鵜呑みにしない

ここに関しては、自分ではやれてる部分もあると信じている。

自分が、「自信なんてない」と言うのは、自分の能力や価値を信じているかと言われると、違って「いつも自分を疑ってしまう」からだ。
自分のことだけではなくてすべてに対してそうなので、これは単にクセなのだけど、なんでも「それってほんとかな?」といつも疑って考える。
ただ、自分の場合良くないのは、そこで解釈が入ってしまうこともだけど、最後は「自分がおかしい。」と自分を責めて終わる。

だから自分の能力や行動に関しても、信じているかというといつも「わからない」になる。
では、全てそれが悪いことかというとそんなことはないと思ってる。
わからないから試しにやってみるし、わからないけどこの人が言うならそうなのかもと思える人とだけ一緒にいたいし、わからないけどこの人が見てるからもっとよくなりたいと願う。

自信がなくても、敬意をもって信頼できる人と一緒にいることと、いやなことをしないことは、本来は意思決定で選択できる。
だから、その場で問いを立てることになれてたいし、決めて断つことにも慣れをつくっていきたい。
いつも自分の考えやできることを疑っていて、つまり自信はもてない。
自信がなくても、ないままでも、なんでもできると思うという結論。


目の前の人を信じる受け入れるってだけじゃなくて、
ありのままの自分自身もちゃんと信じてあげたいなあ!

終わり

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