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何もできなくてもシャッターは押せた

料理が好きだったが、一時期色々とめんどくさくなってジャンクなもので暮らしていた事がある。
寝起きのカラっからの口の中をレッドブルのきめ細かい炭酸で潤すのが好きだったし、それをまキンキンに冷やしたカロリーメイトでカラっからにして珈琲で流し込むのも好きだった。

それなりに日持ちする穀類すらも、買ったはいいけど包丁を持つ気力もなく、結局冷蔵庫の中でアンタッチャブル化させてしまう事が続いた。

ある日突然、健康だったあの日が懐かしくなって、焦げ付いていたフライパンと鍋をメンテしてずっと休んでいた料理を再開した。
どこにでもあるスーパーで買った野菜でテキトーに作った料理は、太陽と大地が作った複雑な味して嬉しかった。
グルタミン酸ナトリウムで脳を直接刺激されるのとは違って、体全体が栄養素を受け入れている感じが嬉しかった。

なんでも巷ではInstagramというものが流行っていて、そこではどんな写真でもフィルターで盛れてしまうとの噂があった。
まだFacebookに買収される前だったと思う。
オンボロアパートでiphione4で撮った写真がそれっぽくなっていくのを見てなんとも言えない楽しさがあった。

それまでゲームと言えば、攻略本を読み込んで完コピする事に楽しみを見出していたタイプだったけど、そこには自分で何もかも設計していくという楽しさがあった。
RPGツクールはちっともハマらなかったけど、そこにあった自由はそれなりに楽しかった記憶がある。


写真フォルダの整理をしていたら、そんな写真沼に片足を突っ込んだ話を思い出した。

何となく歴代のiphoneの思い出を語りたくなっただけなのである。

決して今が上手いとは言えないけども、わならないなりに楽しんで試行錯誤をしていたので、恥ずかしくとも記録はしておくべきだという思いとともに。

#エッセイ #photo #iphone #iphone4

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