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憂いよ讃えよ

三島由紀夫の命日は憂国忌とも言いますが、なんだか氏が国を憂いたというのもなんとなくわかるような今日この頃。

舵取りが出来なくなった大船にやんややんやと野次が飛ぶ
様は見ているだけでテンションが下がっていきます。見ないようにしていても人は弱いもので、スキャンダルを同じくらいに、その喧騒を覗いてみてはまたテンションが下がる。なんとも悪循環です。

これからの行く末をどうすべきか。それをここで議論するつもりはありません。ヒマそうに見えて実際にヒマですが、まだまだやらなければならない事は沢山溜まっています(ガンダム作るとかFF進めるとか、締め切り伸ばしているものに向きあうとか)。

「正解は無い」

何か大きな物事にぶつかったときによく言う締めの言葉でもあります。いや、物事に正解なんてものは最初から無くて、白黒はっきりしないものが大半なのではないでしょうか。それを比較した上で、どっちつかずなんだけれど、ああだこうだ言いつつも、「まあこっちの方がベターなんじゃねーの」と何とか折り合いをつけていく。

こうすべき、こうするべきではない、自分が間違っているとは思っていない同士の対立は見ているだけで辟易してしまいます。

では、どうやって見守っていくか。

一年に何回もある忘れてはいけない日よりも、呪わているとしか思えないビッグイベントのグダグダを決して喉元過ぎた熱さにしないで、ではどうすれば良かったのか、何故それが出来なかったのかまで含めて考え続けるのが大切なんじゃないでしょうか。

夏休みの読書は「失敗の本質」「空気の研究」この二冊はマストで。

★noteにまとまる前の思考のかけらはTwitterにあります。


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