仕事で記憶に残っているのは自分を叱ってくれた人です。
関係の薄い人や当たり障りのないことしか話してくれなかった人たちのことはあまり思い出すことができません。
もちろん覚えてはいますがエピソードも薄く、愛着がなかったりします。
不思議なもので、きちんと叱ってくれたり指摘してくれたり…自分に向き合ってくれた人が自分にとっては大事で、そういう人こそ覚えているのです。
何回か書いているエピソードです。
以前勤務していた飲食店で、帽子を被ったまま帰りの挨拶をしたら「帽子は取って挨拶しようね」と言われました。
言い方は優しかったけど目の奥には「あ、怒っているな」とわかるような鋭い沈んだ光を持っていました。
僕はそれを「知らなかったしわからなかった」ので教えてくれたことを今でも本当に感謝しています。いや、もちろん体育会系なのでダラシない服装はしないとか、呼ばれたらダッシュでとか、そんなのは知ってるんです。
こういう「別に言わなくてもいいことを言う」のは精神力と体力をどちらも削られるものだ、ということを今となっては痛いほど分かるのできっと嫌だったろうな、と想像します。
数年後、自分の店のスタッフが食事の場に帽子を被ったまま現れ、取ろうとしない、ということがありました。お洒落だし、ファッションでもあります。
しかしながら、使命感からではないですが「帽子は食事の場ではとりましょう」と教えた。
声をかけた、が正しいのかも。教えた、だと何か優位性があるような感じがしてしまいますね。
その子には(Yさんとしますが)他にも仕事に関しては色々細かいことをたくさん言ったように思います。
でもYさんは僕と仕事をしたあとは「今日も頑張った!」という気持ちでいつも帰ることができます、と以前話してくれました。
実は僕はその帽子事件があった当時はなかなか瞬間に言われたことを納得して受け入れることが苦手でした。というよりは妙なプライドが邪魔して納得したくなかったというところ。そのYさんのようにすぐに血肉にして気持ちよく消化するということは出来なかった。
怒ったことも怒られたことも記憶の中にきちんと残っています。前向きなことだけがいい記憶を形成するのではないのだということです。むしろ前者のような記憶の方が自分自身にも強く強く結ばれて思い出しやすくなる。
自分の人生にとって「意味があった」ということなのでしょう。今もなおいい記憶として残り続けています。
お店にも来てくださいね〜〜!!