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【コラム】noteの課金投稿を読む理由。あるいは、画廊で絵を買う理由【卓上人語】

自分は、アートとはなにか、芸術とはなにか、知らなかったと言うことに気がついた。


今までいわゆる「可処分所得」、つまり家賃と食費を抜いたお金というものは持ってこなかったし、正直今もたいしてない。
なので、例えば部屋に絵を飾るとか、お花を生けるとか、そういうことには全くの無頓着、といえば嘘になる。そうしたいな、と思いながらも「できるはずないじゃないかクソッタレ」としか言いようがなかった。

もう、こうなるとダメだ。アートの良し悪し、芸術の喜び、表現することの楽しさ、気に入ったものと時間を過ごすことの素晴らしさ、全部否定だ。実際そうだった。
なんと空しい時を過ごしたものか。

しかし。


そうではないんじゃないのかという話。

思えば。いいものはいい。部屋に飾れば気分がいいじゃん!と、いうよりも。従前から言っているのだけれど、アート作品というものは置かれる場所、さらにそれを観る人、それを撮る写真によってのみ「アートたりえる」のだ。なら、うちに飾ればいいじゃん。

しかし今までの私は、本当に金がなく、まず購入することは思いもつかなかった。先述の通り可処分所得というものが、ゼロだったのだ。本は「当然」全部立ち読み。展覧会も無料のものだけ。たまたま友人、知人がやっている会で買わざるを得ない(買いたくない、のではないのだぞ)場合にだけ購入、というのが私の「表現物」との付き合い方だった。だって、カネがないんだもん。欲しくても買えないんだから、そもそも「買って家に飾る」という発想が出てこない。

これが最近、感じ得たものには金を払うべきだという思いに至った。理由は簡単。必要なものを購入する。対価を払う。「そこ」に気づいたのだ。

例えば今載せているこのNoteでも、面白げな記事でも「絶対に課金しない」「誰かがアップロードしたものだけ見る」「それでもみられないなら、諦める」だったが、面白そうなものは課金して読もうと思う。これで循環する。
自分が課金して欲しいのに相手のはタダ読みとか、それはいかんだろ?

そう思ったわけだ。
と書くとね、ほらやっぱり自分は「どれだけ短くまとめるか」の方だなと思ってしまう。「少ない内容を大袈裟に」「10文字で済むことを100文字に」というのには憧れるし以前はそういうスタイルでもあったが、いまはできんなあ!まあ、読みやすくていいでしょう!

ちょうど1004文字。気持ちの良いところである。

では、今日はこの辺で。

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