見出し画像

同質性への愛

はじめに

 今回テンション高いです。文体も変わっている可能性があります。ご注意ください。

 ……いや言いたいことは分かるんですよ!現実における同性愛者への差別問題とか!婚姻制度とかそういうの抜きにして作品として楽しむなんてけしからんとかそういうのは分かってますし、わたしとしても思うところがありますが!今回はフィクションにおける同性同士の恋愛描写を私が好きな理由について語りたいだけです。少女漫画が現実を模倣していないように、フィクションと現実はここでは全く別物として論じさせてください。どうかよろしくお願いします。

気づいたこと

 ある日、帰りの電車を待っている間にふと江戸川乱歩のデビュー作「二銭銅貨」を読んでいた。ミステリの種を明かすことに匹敵するほどの重罪はこの世に存在しないとは思いつつ、有名な話であるので多少内容に触れることをご容赦頂けると幸いである。

 主人公は頭の切れる若い男で、貧乏で、同じく頭のよく貧乏な松村という男と下駄屋の二階の狭い部屋に下宿している。その二人がたびたびどちらが頭がいいかというようなことを競うのである。厳密にはそのような描写があるわけではなく、主人公の回想においてそう語られる。

 それを読んで、わたしは「これは萌えだ」と思った。萌えという表現が適切でないならば「尊い」とでもいおうか。つまり、そこに私のセンサが反応したのである。もちろん主人公と松村の間に恋愛感情が存在することを匂わせる描写が存在するわけではない。二人が一つ屋根の下で共に暮らしているからこれがBLだと思い込んだわけでもない。突き詰めていくと、ただそこにたしかに存在した同質のものに対するライバル意識のようなものにわたしは強く惹かれたのだ。

 同質のもの。それはわたしが誰を好きになる時に最も重視している点かもしれない。(ここでの好きは恋愛感情とは必ずしも一致していないことを申し添えたい)好きな作家がかぶったから、同じ曲の同じ部分に違和感を覚えたから。あるいはもっと俗っぽく、一緒に変なお菓子を食べて意外と美味しいじゃんって言い合ったり。そういう「他の人には分からないだろうけれど、この人となら一緒に何かを楽しめる」という一種の共犯者意識とでもいえるようなものがわたしを誰かに惹きつける。

 そして、そんな共犯者意識で繋がっている人々の姿にも、わたしはどうやら惹かれるようなのである。

まとめ 

 今回はここまでしか深掘りすることが出来なかったことを残念に思う。また考察を深めて加筆するか別記事として投稿したいと考える。

2021年11月18日 追記

 逆に好きなものがかぶっていると嫌だって話もあるよね、という記事を書いたので追記しておく。本記事とは特に関連付けて述べているわけではないが、自分の考えの変化を感じて面白かった。


頂いたサポートは全額書籍代として使わせていただきます。わたしの糧になってください。