2023年振り返り(ネガティブ ver.)
今年も、何も書けず何も描けず何も作れないままで一年が終わっていく。
また手頃な誰かを理想と崇めて、この心をあらわすのはこの言葉だ、この音だとのめり込んで、いつの間にかそのことすら忘れて次の誰かに同じことを繰り返す、それで生きていけるのだから悪くないと思いながら、このままではいけないとも思っている。
初めて希死念慮という言葉を知ったのがいつだったかはもう思いだせないが、その頃はたしかにこれは思春期の一過性の病気で、きっとそのうち感じなくなるものだと信じられていたことを覚えている。
太宰治って一時期ハマりますよね、
黒歴史は誰にでもあるものだから、
そんなことばである種自分の辛さをメタ認知すらしていたように思う。
いつか飽きてしまうと信じていたからこそ文学部には進学しなかったし、きっとお金さえあれば幸せになれると思える日も来るだろうと就職を考えた学科に進んだ。嫌いだったわけでは決してない、それでも一番ではないものを選んだのだ。
そして一番行きたかった大学には選ばれなかった。(これは単に学力不足である。)
それから数年経って今に至るわけだが、絵を描くことも短歌を作ることも中途半端にしかできず、研究に取り組んだり取り組まなかったりしている。
かつて、高校生のころは研究で世界を変えられると本気で思っていた。
頑張ればそれくらいのことができるような気がしていた。そんなものは幻想に過ぎないと気づいたいま、誰かの世界なら変えられると信じて小説を書こうとして、そんな下心で何かをやってうまくいったって嬉しくないのに。
バカだな、と思う。消費者としての人生に甘んじることも、何かを生産する苦しみにも耐えられないままずっともがき続けている。
短歌なら、と思った時期もあったのだけれど、今はもう数式とか理論とか役にも立たないアーキテクチャへの理解とかに押しつぶされて、短歌を作る部分が息ができなくなっている。今取り組んでいる研究が終わればまた変わるのだろうか。
これさえ終われば、ここから出ていくことさえできれば、そう思ってこれまで頑張って、でも乗り越えた先の世界はいつのまにか日常という灰色の日々に変わっていた。
あと何度、自分に失望したまま生きていこうと思えるのだろう。あと何回、この期待を抱いては裏切られるのだろう。裏切っているのは自分自身で、ここから動こうとしないことも一種の自己憐憫で、流行った漫画ではないが不幸は幸福と同じくらいの麻薬なのだ。
素敵な世界を見てきてこんなものしか書けなくてごめん。愛しています。
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