見出し画像

亡くなった後の繋がりの話

こんにちは、ゆっきーです。
2つ目の投稿どうしようかな、と思っていましたが、
今日おじいちゃんが夢に出てきてくれた気がしたことと、友人のおばあさまの話を聴いたので、流れに身を任せて「繋がり」や「愛」の話を少々。

=====

上記「おじいちゃん」は母方の祖父のこと。
母の実家は浄土宗では有名なお寺で、おじいちゃんは住職でした。
ちなみに、曽祖父は「昭和の大布教師」と言われた人。
私は曽祖父と深く繋がりがあり、今に影響があるのですが、
それについてはまた今度。(※私は特別信じている宗教はありません。笑)

さて、おじいちゃんの話に戻ります。
大正生まれには珍しく180cmを超える長身で、格好よくモテたそう。
口数が多い印象はありませんが、とても威厳があり凛とした人でした。
仁丹と養命酒とPOLAの製品を愛用しており(笑)、今でも仁丹の香りをかぐとおじいちゃんを思い出します。

廊下で騒ぐとピシャっ怒鳴るようなおじいちゃんでしたが、私は孫の中で(当時)唯一の女の子だったこともあり、とても可愛がられ、私もおじいちゃんが大好きでした。
両親と離れ、1週間おじいちゃんと過ごす、なんてこともしていました。

私の名前は優妃(ゆき)と言いますが、この素敵な漢字をつけてくれたのもおじいちゃんです。私はこの名前がとてもとても気に入っています。
先日、父から「おじいちゃんは優妃が生まれた時に、この子は特別だと言っていたよ」と聞かされました。なんだろう・・よく分からないけど、とても嬉しい。

そんなおじいちゃんが亡くなったのは、私が(たぶん)中学1年の頃。
思春期で、おじいちゃんとの距離感が少し変わってしまっていた頃でした。
つい最近まで、この距離感がすごく心残りでした。

ある日、学校の帰り道の駅で、急に現れた母におじいちゃんが危ないと告げられ、急いで制服のまま奈良に直行しました。

お寺の中でベッドに横たわるおじいちゃん。見ることしかできない私。
おじいちゃんは、突然「南無阿弥陀仏」と唱え始めました。
亡くなる瞬間を察知したのでしょう。
そうすると、周りを囲む僧侶たちも南無阿弥陀仏と唱え始めました。

何分間くらいだったか記憶にありませんが、何人もの僧侶が、一斉に唱え続けるあの光景は、一生忘れる事はないでしょう。
おじいちゃんは、魂が抜ける瞬間まで、「南無阿弥陀仏」と唱えていたのです。
私はとても寂しく悲しく号泣しながらも、「なんて格好いいんだ」と心が震えたことを覚えています。

=====

そんなおじいちゃんは、20代の前半まで、私が岐路にたった時には夢に出てきてくれました。何かを話してくれる訳ではなく、おじいちゃんが去っていくという悲しい夢で、起きたら涙があふれている、そんな夢でした。

でも、なぜかその夢を見たあとは「私の選んだ道でいい」と思えていました。
おじいちゃんからは「思うように生きなさい。優妃の選択を信じなさい。」
そう言われているような気がしたからです。

大人になり、私が自分の力(初稿で書いた感性)をねじ曲げていくにつれ、
おじいちゃんは夢に出てこなくなりました。最初はとても寂しかったです。

それでも私はおじいちゃんとの繋がりを感じていて、時折思い出していました。
夢には現れなくても、たまにお墓に行って話しかけると、おじいちゃんは降りてきてくれました。風になって、さーっと私の周りを包んでくれるんです。
1人でお墓に行くと、それはそれは、はっきりと感じます。
心が少しザワッとなり、その後身体中に温かさが回るようなそんな感覚。
「あ、今おじいちゃんがいる。私を守ってくれている」と分かり涙が溢れます。

※今は、お墓に行かなくてもおじいちゃんと繋がれることを確信していますし、
  話せることも分かっています。その話はまた別の機会に。

=====

今日、友人から「疎遠になったおばあちゃんに、とても愛されていたことを思い出した!親からの愛を実感しにくかったから、愛の経験があまりないと思っていたけど、おばあちゃんから無償の愛をもらっていたよ。愛はあったんだね。」
という連絡がありました。

そう、愛は「ある」のですよね。
本来は、与える/与えられるという取引関係ではなく「ある」です。

亡くなることは、3次元では見たり触れたりできなくなるのでとても寂しいですが、死は肉体からの解放であり、スタートでもあります。
上に行かれた方々の魂は、私たちと繋がっていて、本当に温かい愛を持って見守ってくれています。

見えなくても、触れなくても、お墓に行く時間がなくても、心の中で話しかけてみてください。
その内容は伝わっていますし、感覚を澄ませば、身体が愛で満たされる感じを味わうことができるかもしれません。
時には、言葉が湧いてくるかもしれません。

ちなみに、私はおじいちゃんの写真が入った数珠をよく身につけています。(写真)
つけたい、と思った時だけつけます。なんだか安心するからです。
こんな風に分かりやすい物を通して繋がりを味わうのもいいですね。

今日は亡くなった方との繋がりや愛についてのお話でした。
書きたいことたくさんありそうです(笑)
ではまたの機会に☺︎


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?