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【自己紹介】 石橋を叩きすぎて壊す少年

先週から始まった週1note

2019/3/31まで、週に1回noteの記事をアップするだけの非常にシンプルな企画。

私は全7回で、この2ヶ月間で起こっている『人生の転換期』をテーマに、記事をアップする。

毎週日曜日にアップするので、よかったら見てくれると嬉しい。


今週は、このテーマをどんな人間が書くのか。

興味がないと思うが、私の自己紹介を書きたいと思う。笑


言っておくが、私は人見知りで変化を嫌う男であった。何がきっかけで今の自分ができているか記してみた。



YUKI NISHIDE - 平日は会社員、休日はフェス・コミュニティづくり

就職で東京に出てきてから、
今年で7年目を迎えようとしている。

普段は会社員で企業のAI活用支援として
コンサルタントとして働きつつ、

休日にSHAKE HANDSをはじめとする
様々なイベント・フェス・コミュニティの
コンサルやプロデュースに携わりながら、
好きをシェアするコミュニティ「HITOKOMA」の企画運営を行っている。


※携わったプロジェクトはこちら

今ではフェス・イベント・コミュニティと連呼しているが、そもそも大学卒業するまでイベントを主催したことはなかったし、
大学祭や高校の文化祭でも実行委員会なんか入ったこともなければ、興味もなかった。笑


■石橋を叩きすぎて壊す少年

1990年に大阪府で生まれ、
今年の11月で29歳になる。

ただ大阪と言いつつも、
僕が生まれ育った四條畷市は、ど田舎。

市の半分が国定公園で、
電車も1時間に4本の田んぼが広がる街だ。

家族は、父親・母親・妹の4人家族。
ごく一般的なサラリーマンの家庭ではあるが、
父親は内向で究極の保守派。
母親は外向で究極の革新派。妹はギャル。

性格バラバラの家庭だったこともあり、
自分の個性や意見を持たないと
生きていけない家庭で育った。笑

よく母親からは
「で、あんた、何したいの?」だ。笑

しかし、アグレッシブでクレイジーな性格かと言われると全然そうでもない。
僕を古くから知る人は、口を揃えてこう言う。
『石橋を叩きすぎて壊す奴』だと。

そもそも基本ベースが、
1人が大好きで人見知り人間である。

人と会った時に沈黙の時間が流れると
「やばい。。。何か喋らないと。。」
と思ってテンパる。これが凄く嫌だ。

だから、何も気にせずにいられる1人の時間が
大好きだし、新しい人と会うのは論外だった。

おまけに超がつくほどの安定志向。
何か変化が起きようとすると、
まずメリットデメリットをあげようという。

そして恐ろしいくらいのデメリットをあげて、
変化を起こすのをやめようとする。
これが僕の必勝定石パターンだ。

そして仮に変化したとしても、
最小限の変化に止めようとしていた。
ただ、この考えや性格が大きく変わる転機が
この先訪れるとは思ってもいなかった。


■楽譜が読めないのに軽音楽部に入部 - 暮らしの中に音楽が入るはじまり-

小学生の時に、年に1回、中学校の吹奏楽部の演奏を聴く機会があった。

その時、一目惚れした楽器がきっかけである。

そうドラムだ。

中学はほぼ帰宅部だったこと、音楽なんか一切やったことがなく、楽譜は全く読めないのに、小学生の時のドラムに対する憧れが凄くて、
高校に入学して軽音楽部に入部した。

初めて、変化よりも
やりたい気持ちが上回った時だった。

とはいえこの時、
私の一番好きなアーティストは、BUMPでもアジカンでもRADWIMPSでもなく、EXILEだった。笑

軽音学部では、入部生に好きなアーティストは何か。アンケートを書くのだが、EXILEと書くと、ヘビメタ好きの当時の部長に苦い顔をされたのは、今でも覚えている。笑

バンドメンバーも全員初心者ということもあり、最初は波乱のバンド活動だった。

ただ学園祭やライブハウスでライブ活動を継続したことで、高校最後のライブハウスライブではトリもやらせてもらい、順風満帆な高校生活を送っていた。

この時の経験で、自分がやりたいと思うことを実現する楽しさを実感できたと思う。

またお客と演者で一体感を作る楽しさを知れたのもこの時だった。

大学生に入っても軽音サークルに入るが、
いつのまにか演奏よりも鑑賞がメインになってくる。そして転機は訪れる。


■初めてのキャンプフェス - 朝霧JAM -

社会人でも入れる「ライブを観に行くサークル」を立ち上げたこともあって、
ライブハウスのフェスや、RUSH BALLや京都大作戦といった音楽が主軸のフェスは行っていた。


しかし、朝霧JAMは別格だった。


きっかけは、大学3年生の時にみたとあるキャンプ雑誌だった。


ここで人生のターニングポイントをむかえる。


一言で言うとこれまでのフェスの楽しみ方を一変させたのだ。雷にうたれたような衝撃が走った。

このフェス、アーティスト発表される前にチケットがSold Outする。

ライブ目的で参加していない人が多いのだ。

キャンプを楽しむ人・ライブの横でフットサルをしている人・ウォーリーに仮装する人などなど、お客さん自ら楽しみを作り出しているのだ。

朝霧JAMをきっかけに全国各地のフェスに行きまくるようになった。

※朝霧JAMを知らない方はこちら。
昨年の朝霧JAMが映像化されている。



■フェスに行く側から主催する側へ - 高架下音楽祭の主催 -

そしてまたターニングポイントを迎える。
人生初めての大きなチャレンジをした。

就職を1年遅らせて
大阪の中津で高架下音楽祭という街フェスを主催した。


実は内定をもらったワークスアプリケーションズ には、変わった制度があった。
「内定パス」である。
卒業してから1年以内であれば、
好きなタイミングで入社できるという制度だ。

この制度をつかって、大学卒業後、
1年フリーターとしてアルバイトをしながら
高架下音楽祭を立ち上げた。

この話は非常に長くなるので、
また別の機会で話せたらと思うが、

・発信し続けることで道は切り開かれること
・主催側に回ることでの気づきや学びの多さ
・人生の転機に寄り添えた時の充実感

など多くのことを学んだし、気づきがあった。


高架下音楽祭の経験がなかったら、
間違いなく今の自分はいないだろう。


この時ぐらいから、変化することの楽しさ、
「やりたいと思ったらやらないと損」と思うようになった。

※当時の振り返り


■そして就職・HITOKOMASHAKE HANDS

高架下音楽祭開催後は、就職のために上京し、東京生活が始まった。

入社3年目までは、もちろん遊んでもいたが、
仕事でいっぱいいっぱいだった。

ただ、仕事も少しずつ慣れてくると、
「これで良いのか?」と思うことが日に日に増していった。

一番は、
高架下音楽祭のお客さんが、自分達のフェスがきっかけとなって、行ったことないフェスに行くようになったり、フェスを立ち上げたりするなど、人生の転機に関われた充実感だった。

「もっと人生の転機に関わりたい。」

この気持ちが強かったからこそ、
会社員の傍ではあるが、

「好きをシェアするコミュニティHITOKOMA」を立ち上げたり、

「ヒト・コト・オト・モノの縁を繋ぐSHAKE HANDS」にも携わり、今に至っている。

そしてHITOKOMAやSHAKE HANDSを通して、
「人の価値観を変えるには、環境が大きく起因していること」
を意識するようになった。

やはり個人で価値観が変わるには、
とてつもなく強い想いがないとうまく行かないし、限界がある。


長くなってしまったが、これまでの経験を通して自分の教訓は2つだ。

・やりたい気持ちに素直になったほうが良いこと
・やりたいと思うことは諦めなければ道は切り開かれること

多くの経験を通じて、今の自分の人格が形成されていると思う。

今日は以上。


来週は、人生の転換期に遭遇した際、
自分にとって最良の選択をするにはどうすべきか。
僕の経験にはなるがお伝えできればと思う。


人生の転換期 - この2ヶ月で起こった人生最大の選択 -

00 【プロローグ】人生の転換期は、ある日突然誰にでもやってくる。(2/17 日)
01 【自己紹介】石橋を叩きすぎて壊す少年(2/24 日)
02 【実録】人生の転換期で最良の選択をするには?(3/3 日)
03 【生き方・働き方】今後5年で、すべてのルールが変わる。(3/10 日)
04 【2拠点生活】キーワードは『スモール・スタート』(3/17 日)
05 【複業】本業が無くなった時、今の生活を維持できますか?(3/24 日)
06 【最終話】 『2拠点生活』『複業』を決断した先に見ているもの。(3/31 日)






TOP画は
McGuffinのインタビュー記事から


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