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上野・奏楽堂で聞くチェンバロ

上野公園内の東京都美術館のすぐそばに、旧東京音楽学校奏楽堂があります。

東京都美術館には何度も行っていたのですが、奏楽堂はその陰になっているので、つい最近までそんなに近くにあるのを知りませんでした。

ただ、奏楽堂の保存運動に関わった方のお話を聞いたことがあり、一度行ってみたいと思っていたのです。

奏楽堂(正式名称は旧東京音楽学校奏楽堂)は元々は東京藝術大学音楽学部の前身、東京音楽学校の校舎として明治23年(1890)に建築されました。

その2階には日本最古の洋式音楽ホールがあり、そこは
「瀧廉太郎がピアノを弾き、山田耕筰が歌曲を歌い、三浦環が日本人による初のオペラ公演でデビューを飾った由緒ある舞台」
なのです。

昭和40年代には建物の老朽化のため、都外への移築案も提案されましたが、現地保存運動もあり、結果的に台東区が東京藝術大学から譲り受け、昭和62年(1987)に現在の場所に移築・復原され、「旧東京音楽学校奏楽堂」として一般に公開されるようになったのです。

その後、昭和63年(1988)に、「日本最古の洋式音楽ホールを擁する校舎」として、重要文化財の指定を受け、資料の展示だけでなく実際に二階のホールでの演奏会も行なっています。

このような歴史を読むと、
「敷居が高いのでは?」
と思われそうですが、ほぼ毎週日曜コンサートが行われており、300円の入館料だけで展示の見学とともにコンサートも楽しめるので、気軽に聞きに行くことができます。

ちなみに、奏楽堂のホールには日本最古のコンサート用パイプオルガンもあり(徳川侯爵から寄贈された英国製)、第1・第3日曜日はチェンバロ、第2・第4日曜日はパイプオルガンの日曜コンサートが開催されているとのこと。

演奏するのは東京藝術大学音楽学部の学生さん、または院生の方。

先日そのことを知り、チェンバロのコンサートを聴きに行くことに。

ちなみに、チェンバロは「ピアノの祖先」とも言われ、ルネサンス音楽やバロック音楽で広く使用された楽器です。

わたしはこの日初めてチェンバロを見ましたが、優美なグランドピアノのような楽器でした。

この日の演奏者は東京藝術大学音楽学部チェンバロ専攻3年のウィットマー・カリッサ・真実さん。

バッハの曲やフレスコバルディという作曲者の曲を演奏してくれました。

いちばん印象的だったのは、最後に演奏したバッハのカプリッチョ変ロ長調「最愛の兄の旅立ちに」。

演奏前に曲の説明があったのですが、バッハは9歳の時に両親を相次いで亡くし、

音楽家だった長兄の元に引き取られ、音楽も学んでいたとか。

この曲は長兄がスウェーデン王に随行するための旅立ちに寄せて、バッハが作曲したと言われているとのこと。
(ただし、諸説あり)

とても美しい曲でした。

一時間程度のコンサートの後は1Fの展示物を見学しましたが、有名な曲の直筆の譜面や過去に活躍した人たちの写真等、興味深く拝見しました。

例えば、小説家・幸田露伴の妹、延(のぶ)はピアニスト・バイオリニスト、幸(こう)はバイオリニストであり、二人とも東京音楽学校で教師として音楽教育にも貢献しています。

この二人についての展示もありましたし、滝廉太郎がピアノを演奏した東京音楽学校第1回定期演奏会(1898年12月4日開催)のプログラムなどもありました。

また、建物の外にはどこかで写真を見たことがある朝倉文夫作の滝廉太郎像があるのですが、この二人は4歳の年の差はあるものの同じ小学校の同窓生で、朝倉が23歳で亡くなった滝廉太郎の像を作った時の思いを述べた文章もありました。

「君をつくれば 笛の音や 将に月を呼ぶ」
という彼の句を読み、「荒城の月」が頭に浮かびました。

この後は谷中まで歩き、行って見たかった「ひるねこBOOKS」という本屋さんで「ねこのひるね展」という数年の画家さんの猫の原画展を拝見しました。

さすがに原画には手が出ませんでしたが、しおりやポストカード、サイン入りの本などを入手。

在廊の作家さんともお話ができました。

この日は暖かい日だったので上野公園では早咲きの寒桜を見たり道すがら見つけたたい焼き屋さんで休憩したり、上野散歩を楽しみました。

最近は寒い日もあるのでまだ日を選びますが、上野にもまた行って見たいと思います。

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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