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光が見えなかったあの冬

ちょうど1年前、私は毎日闇の中で過ごしていました。

これは精神的な意味だけではなくて。
その頃、将来のことについて考える思索の旅に出た私の体内時計は180度狂ってしまって、朝の6時ー7時まで眠れない毎日を過ごしていました。幸い睡眠はとることができたのですが、朝の7時から夕方4時ぐらいまで眠る毎日。つまり、日照時間の短いドイツの冬にこの時間帯に睡眠をとってしまうと、本当に太陽の光にあたることができなくなるのです。

まったく光に当たらないと気分が憂鬱になってしまうので、少なくとも身体は動かした方が良いと思った私は、毎日夕方に既に日が沈んで真っ暗になったベルリンの街を早歩きで散歩しながら、将来のことを考えていました。

当時は日本に戻ることについて考えていました。

5年近くベルリンでテックジャーナリストとして仕事をして、日本での良い人脈が築けた一方で、ローカルに根っこをはれていないと感じていました。私がベルリンにいる理由はなんだろう、この先もずっとベルリンにいたいのだろうか、むしろ日本やアジアのどこかに拠点を移した方が仕事が充実するんじゃないのか。いや、でも日本に帰って私の身体と心は馴染めるのだろうか。そんなことを考えながら、日本に帰った場合の生活を脳内でシミュレーションしたりもしてみました。

私は6年前にベルリンに来てからは、ベルリンでの生活を安定させて自立すること、つまり仕事を軌道に乗せることに集中していて、ベルリンにいることの意味を深く自分に問うことはありませんでした。ベルリンという街はなんとなく肌に合っていると思いましたし。

それから約5年が経って、仕事をある程度のレベルまで充実させることができた私は、この先のステップについて考えるようになりました。そして、その時になって初めてベルリンが本当に自分のいるべき場所なのか、問うてみたのです。あれ、私はどこに行きたいんだっけ? そんなことを考え始めたら、思索が止まらなくなりました。

悩んでいたというよりも、考えていたという感じで。毎日毎日、真っ暗なベルリンを早歩きで5-6キロ歩いて思索を巡らせて、そして帰ってからノートに自分の考えを綴りました。

近しい友人にも打ち明けました。私と同じく東アジアからベルリンに移住してきた親友に聞いてみました。「ここにいつまでいたいかとか、母国に帰ることとか、考えたことある?」すると彼女は言いました。「そんなこと、今朝考えたばっかりだよ」

私は彼女からそういった話を聞いたことがなかったのですが、自分が打ち明けて初めて、彼女もまた日常的にそういった可能性について考えていることを知りました。既にベルリンで何年もプロフェッショナルに活躍していた彼女であっても。私たちはあまりに大きな問いに真っ向から向き合うことを避けていたようです。

なかなか答えはでなかったのですが、とりあえず私は年末年始に日本に帰り、その直後に今後の拠点についての答えを一旦出すことに決めました。思索に期限を打たなければ、いつまでも考えてしまうと思ったので。

結果的に、私は日本に一時帰国したことで、その答えを出すことができました。一時帰国して、日本の空気をいっぱい吸ったことで、やっと「やっぱりベルリンにもっといたい」と強く思えたのです。日本の外にいたことで、日本に対する理想が膨らみ、過剰な期待をしてしまったのかもしれません。でも、ようやく分かった、という感覚を得ることができました。

3ヶ月ほど、真っ暗なベルリンの夜道を散歩しながら続けた思索の旅を経て、私は一旦答えを出すことができました。そして、もう一度得られたベルリンにいたいという気持ちを支えに、キャリアチェンジについて前向きに考え始めることができました。

その後、エンジニアの友人にエンジニアへのキャリアチェンジについて相談をして、彼から背中を押されるようにしてプログラミングの勉強を3月から始め、11月半ばに現在の職場の内定をもらって、12月から働き始めて今に至ります。

結果さえ出してしまえば、周囲からはあっという間のキャリアチェンジと思われ、あたかもひょいと仕事を変えちゃったかのように思われるかもしれないのですが。実際そんな面もあるかもしれないのですが。

でも、すべての始まりは、1年前の光が見れなかったあの冬で。

真っ暗な夜道をただひたすら早足で歩いて、心の澱を払いながら、大量のメモに思考の軌跡を綴りながら、なんとか答えを見つけようとしていた日々がありました。

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