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贅沢とはなにか?

贅沢とはなんなのか?
最近思うことについて、書いてみたいと思います。

90年代や2000年代、私が東京にいたころの価値観では、贅沢というのはブランド品を買うとか、高級車を買うとか、あとは郊外に素敵な一戸建てを買うとか、そういう社会の中での希少価値やステータスに基づいて高く評価されるものを手に入れることだったと思います。

私も少なからず、そういう価値観の影響を受けていて、 長時間労働の対価としてもらった3桁のボーナスで、ハイブランドの鞄を買ってみたりとか、していた時期もわずかながらありました。

欧州に移住することによって、 そういった、消費主義、閉じた社会の中で通用している評価軸で「贅沢」が定義される社会から遠く離れることになりました。

私がいま一番「贅沢だなーー」と感じる瞬間というのは、
・平日の昼間に、燦々と降り注ぐ太陽の光を浴びながら、緑があふれていて気持ち良い風を感じられる公園をゆったり散歩しているとき。
・百円ちょっとのビール片手に、川辺の芝生に気の合う友達と座りこんで、延々とおしゃべりをしているとき。
・誰かが道端に置いていった古い服や本、家具で気に入ったものを、たまたま散歩途中で見つけたとき。誰かのお気に入りだったものが、私のお気に入りになったとき。
・商店が閉まる日曜日の朝、静かな近所を散歩しながら、きっと多くの人が穏やかな日曜日を過ごしていると想像できるとき。

どれも、ほんのささやかな幸せであり、私にとっては「贅沢」なのだけど、東京での生活ではこうした贅沢を得ることが当時は難しかった。
もしくは、こうしたことが得られたとしても、それが贅沢なんだと当時の私は思えなかっただろうと思う。

私が上に挙げた贅沢が実現する社会というのは、 

・ 誰もが無料でアクセスできる公共財(公園とか道路とか)に対する投資がされる社会であること、
・その投資に価値があるという合意が民主的に形成されること、
新しいものを消費することよりも、いかに物に長生きしてもらえるかに価値を置く社会であること
・などなど、社会的な価値観が前提になっている。

日本の外を一歩出てみると、大きく違う価値観にふれられて、
それまで常識だと思っていたことが常識じゃなくなったりする。

そういう体験ができただけでも、私は一度日本を離れてみて良かったと思う。

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