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こころの風邪、といふ人よ。

むかしむかし、私が小学生の頃(20年くらい前)、不登校になった同級生がいた。A君と遊んだことは、記憶が確かであれば一度もない。ただ、「A君はこころの風邪をひいたので、暫く学校をお休みする事になりました。」と先生が言っていた。まだ低学年か中学年くらいだったので、周りも、「なぁにそれ?」という反応だったと記憶している。

同じようにお休みをする子は少なくなかったように思う。でも、何故か今、私はA君のぼんやりとした面影を思い出すのだった。

それは、先日ふと耳にした「いやぁ、(B君は)こころの風邪を引いてしまったようで」という言葉がきっかけである。

まだ、「こころの風邪」という言葉があるのだな、と。(私が知らないだけで、ふんわりとしたベールに包まれた、曖昧なニュアンスで精神的somethingを伝えているのだろうか。)

確かに、こころを測ることは難しい。だからこそ、当事者は困惑の中過ごすのであろうと思うし、いろんな処方を試すのだと思う。

少なくとも私が経験した適応障害というものは、(こころの風邪に含まれるのかどうかは知らないが)当惑必至のものであった。 


それ故に「こころの風邪」という言葉に、その言葉を使う人の気持ちに、違和感を覚えた。なんとなく、臭い物に蓋をするようなニュアンスを含んでいるように思えて。

一見優しいようで、あんまり優しくない言葉だ、とその時私は思った。


一括りにしないでよ、という気持ちがある一方で、逆に「こころの風邪」以外にも最近は何にでも名前(分類)があるよなぁ、という思考が絡み合っている。

ただひとつ言いたいのは、こころの風邪をなめんなよ、ということ。あなただってこころの風邪をひくかもよ?って。

そういう意味では風邪という表現もやっぱり間違いではないのかもしれない。

とい。