見出し画像

無駄と有意義の狭間

「人生に無駄なことなんてないんです」
高校生の頃、クラスメイトが体調不良で学校にこれなくなってしまった。
その時彼女がクラスメイトに向けて書いた手紙の中に、この一文があったことを今でもはっきり覚えている。
これはどこまでそうなんだろうか。

昔、どうぶつの森のゲームをやっていた。
一時期どっぷりとはまって時間を結構費やしていたけれど、ある時急に虚しくなって辞めてしまった。
ゲームの中で頑張ってお金を稼いで可愛い部屋を作っても、現実世界を生きる私にはなにも意味がないと思ってしまったからだった。
それから先、私はゲームが続かない。

時間を無駄にして、と良く言われる。
ゲームに対しても漫画に対しても。
私はそういうものとあまり深く関わりを持たずにここまできてしまったけれど、でもその裏では多大なる労力を費やして誰かに喜んでもらおうと働く人がいる。
プレーしたり読んだりすることは、製作者の励みや成功に繋がる。
そう考えていくと一見無駄に見える時間も、無駄ではないのかもしれないと思えてくる。

高輪ゲートウェイステーションの駅名が決まった時、恋人が「決まった駅名に関してごちゃごちゃ言う人は暇なのかな」と言った。
彼の言い分では、そんなどうにもならないことに口を出している暇があるなら勉強したりキャリアを積んだりすればいいのに、ということだった。
じゃあ何を勉強するのか。
今自由に過ごせる与えられた時間でキャリアを積むとはどういうことか。
私はまだまだ、わからない。
そう言う彼は終わりの見えないエイリアンを倒すだけのスマホゲームを、もう1年近くやり続けている。

何が有意義でその先に繋げられるものなのか。
もうこれはどうしようもなく運と状況次第なのだろうか。
私が今こうやってnoteを書いている時間も、人によってはこんな無駄なことに時間を費やしてと言われてしまうのかもしれない。

意味を絶対持たせようとするなら、あんなに人気のあるディズニーランドだって不要だ。
なんならデートに着ていく服を選ぶことにわくわくする時間だって無意味だし、最高に楽しいと感じながら友達とお喋りする時間だって意味があるかといったらないと思う。
それでもきっと、人はたとえ意味がなくても楽しみたいから、無駄な時間にときめきを覚える。
時間をあてがう理由にするのに、それだけでは不十分になるだろうか。

お読みいただきありがとうございます! サポートいただきました分はnoteを続けるエネルギーに変換していきます。