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2010年映画「トルソ」

40数年の人生、家でひとり夜を明かすのは初めてな気がする。なんか少し嫌だなと思う。たまには家も誰もいないをゆっくり過ごしたいのではないだろうか。家の立場で考えてみるという変な思考はどこかからやってくるのだろう。

とはいえ若い頃と違って夜通し遊ぶ気力も体力もない。こうゆう時にふと呼んでふと来てくれてふと一夜を共に明かしてくれる友達がいたらいいなと思う。男でも女でも良いし男でも女でもない人でも良い。生来の寂しがり屋がぶわっと溢れ出す。

雨も降っていることだしのんびり映画鑑賞。プレミアムビデオで無料の作品を探す。渡辺真起子さんと安藤サクラさんの演技派女優の作品を観てみることに。

山崎裕監督デビュー作品。冒頭から特に音楽もなく人同士の会話と生活音だけが聞こえてくるリアル。会話もごく自然体。ドラマに比べると映画はこうゆうものが多い気がするが、本当にある人の生活をこっそり密着撮影しました的なとにかくリアル感がたまらなくいい。全てをあからさまに表現しない分、心の深淵部が浮き出てくるような感覚。映画に対してダイレクトにスリルや刺激を求める人には不向きかもしれない。

傷つくことを恐れて地味に暮らす姉と自由に明るく奔放に生きる妹、父親違いの姉妹のストーリー。正反対な性格の二人がひと時一緒に暮らす事でお互いに変わってゆくストーリー。女性が生きてゆくこと、女性の性事情、物語の登場人物はほぼ女性で進む。

変わることは難しい。姉ヒロコの言葉「あったことさ、なかったようにするの結構しんどいよ」その通りだ。良いことも悪いことも起こった出来事は変わらないし、この出来事に対する想いを変えることも難しい。けれど最後の妹ミナの言葉「私たちまだこれからだよ」と前を向いて歩き出すふたりの姿がたくましかった。

トルソとは何だろうと調べると首、手足のない胴体のこと。要するにマネキンみたいなもの。劇中ではヒロコが自慰行為の道具として使う言わば女性用の大人の玩具と言ったところ。ヒロコは肉体的欲求を満たすだけでなく心の支え的存在としてもこのトルソを大切に暮らしていた。終盤に前を向いて歩く為にトルソを包丁で壊す。トルソの直訳は「木の幹」。人間の根幹みたいなものの比喩にもなっているのかもしれない。

雨の夜に良い映画を観たなとしみじみする。
ところでヒロコ愛用のトルソとは本当に存在し販売しているのか? と夜テンションで淫らな想像をしてしまった(笑)

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