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日記「わたしならできるでしょ」

3月1日のX

明日3月3日は詩誌LaVagueのイベント。昨日はXで宣伝を兼ねて近況報告をした。何気なく書いたものだが、ふと思い返してみる。日常に余裕がないと書いたが嘘ではない。それは娘が膝の手術をしたから。(下記参照)

当初4週間の入院予定だったが娘が早く退院したいと言うので主治医と相談し許可がおりたため10日間で退院した。お家の方が良いに決まっているが手術後の後遺症か微熱が続き体調が優れない。歩行介助、入浴介助、手術の傷の手当、リハビリ、通院、普段ならばお寝坊も放っておくが三食後の飲み薬があるため朝昼晩と食事を取らせる。本音を言えば入院してもらっておいた方が楽である。病院はトイレもお風呂も廊下も入院患者用に設計されているし、もし何かあってもすぐに医師や看護師が対応してくれる。お家は階段があり病人が快適に動ける設計ではないし、もし何かあっては大変なので細心の注意を払う。気が休まらない。それでも娘はお家に帰ってきて嬉しそうだし私も嬉しい。ナースコールならぬママコールは鳴り止まない。「誰のせいでもない」と医師は言ったが、やはりうまれつき異常な半月板という宿命を娘に背負わせてしまった私の痛みは消えない。ママコールも喜んで駆けつける。そんな日々が1週間程続いた。

やっと体調も良くなり膝の回復も順調だが松葉杖の生活は不便である。来週には手術した足に荷重をかけるリハビリに進む。足をつけるだけでだいぶ日常生活が楽になると娘は言う。連日お友達や彼氏がお見舞いに来てくれて娘の楽しそうな笑顔を見るとほっとする。やっとトンネルの出口が見えたような感じだ。

そんなこんなで娘中心の生活をしていて詩から離れている。詩を読む余裕も書く余裕もなかった。仕方ないと思いながらもどこかで自分に甘えがあったのではなかろうか。

私にはとても尊敬している人がいる。その人は忙しい仕事と忙しい家庭と至極時間がない日々にも、目標の為に自分が高みを目指す為に、自分が努力する時間をちゃんと作る人。仕事では忙しさやトラブルやストレスがたまる事も多いだろう。休みの日には家族と過ごす時間や子供の成長をみる楽しみもあるだろう。自分の時間が足りない事に悶々とする事もきっとあるだろう。それでもがんばる人。私は日常に余裕がないなんてよく言えたもんだと只今反省中。余裕がないのではなくただの怠け者なのだ。怠け者のままでいたら自称詩人になる前の私と変わらないではないか。私はわたしに言う。「わたしならできるでしょ」

さて明日は久しぶりに詩に触れる。寝る前に詩誌LaVagueのVol.0とVol.1を読み返す。詩に触れる瞬間、自称でも私は詩人であるのだと確信する。
私もわたしも詩がすごく好きだから。

#日記
#詩誌LaVague

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