見出し画像

「自分はなんのために生きているのか」と考えている私へ

 「自分はなんのために生きているのか」という問いは、答えがない。
 それ故に、人生で迷った時、不安な時、やりたい事を見つけられていない時なんかに何回も私たちの目の前に立ちはだかってくる。

 私は躁うつ病であり、うつ状態の時には何度もこの問いに悩まされた。答えがないなんてことは理解しているのにも関わらず。。。 

 そして、ある程度考えついた先の仮の答えは、なんともまぁよくも自分をコケにできたなと思うほどの卑下っぷりである。

 私はこの問いを何度かくぐり抜けてきたが、残念ながら(?)明確な答えは出てこなかった。

 ただ、この問いを緩和させる方法は見つける事ができた

 それは、「自分は何のために生きているのか」と問うのではなく
「 自分は次、何をしたいのか 」と問うのである。

 問いの置き換えをするだけで、気持ちはスッと軽くなる。次やる行動が決まって問題解決の糸口を見つけられるからだ。
「なんの為に生きているのか」という問いは、同じところをぐるぐる回っているだけだったのだ。

 「次、何をしたいのか」はなにも大層なものじゃなくていい。私の場合はこうだった。

  「カレーが食べたい」

 笑っちゃうほど小さい欲求だ。ただ、これだけで道は開けたと思う。

 カレーの1件から「とりあえず、今まで好きだと思ったもの全部振り返ろう」と思い、自分の「好き」を探す旅に出ることができた。

 「自分はなんのために生きているのか」という問いは面白い問いだ。何度味わっても違う味がして一向に飽きる事はない。しかし、栄養はあまりない。

 そんな時には「自分は次なにをしたいか」という調整剤を飲む。

 一生悩んでたいと思っている人もいるかもしれない。実際それでもいいのかもしれない。

 ただ、部屋で寝転んで頭の中でぐるぐる考えているよりも、自分の欲求に任せて、手や足、脳を働かせていた方が人生というものは100億倍楽しい

 断定的な言葉は好きではないが、それだけは言い切る事ができる。


 本日はここまでです。読んで下さりありがとうございました!
 ではまた👋


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?