その長さには意味がある
散歩しながらチューリップと白ワインを買う。そんな時間を過ごしたきょう、夕方からはおうちで2時間ほど『ジャイロキネシス®︎レベル2ビギナー』の練習をしました。
突然、2時間もガッツリ練習したのは来週土曜日、オンラインでフルクラスをやるのです。2時間半。ほえー。長い。
↑ちょっと日本語おかしいところがあるけど、降りてきたように書きました。
このクラス、全部通すと2時間半かかります。
ちなみに最後のスタンディングは抜いても2時間半。スタンディング入れると3時間ぐらい。もはやエクササイズの域を超えています。
とにかく長い。
マジ長い。
「そんなに長いことやる必要、あるの?」と言われることもあるし、長過ぎてガイドするトレーナーが覚えられないという事件が多発。なので、オレも練習してるんス。
でも、ふと思った。
ああ、ジャイロキネシス®︎の長さは、からだに対する敬意なんだー、と。
「もっとからだをリスペクトしたい」
そう思い始めたのは、今年から勉強しているVFP®︎でファウンダーの荒和尚さんがからだについて熱く熱く語ってくれるから。
たとえば、からだが工場だとしたら。
いつも黙ってやるべきことをして、稼働してる。これって当たり前じゃないと思うのです。
「有給もらえないんすかー」
「もっといいもの食べたいー」
「やーすーみーたーいー!」
とか。
絶対からだは言わないし。←オレなら言う。
でも、毎日ずっとずっと一秒たりとも休みなく働いているわけで。
骨や関節も信じられないほど精巧で。
太ももの骨の頭は美しいほど丸く、股関節にはまって滑らかに動くようにできているし、足や手首近くの小さな骨の集まりが日々の暮らしの中でわたしたちの動きを支えていたり。
ジャイロキネシス®︎は本当に本当に長い。
でも、信じられないぐらい精巧で休みなく動くからだをすみずみまでくまなく動かすためにはそのぐらいの時間がかかるってもしかしてごくフツーのことなのかもしれない。
そして、いつも当たり前のように生きている自分のからだをリスペクトするための時間なのかもと思うと、もっともっとこの長さに誇りを持ちたくなった。
ジャイロキネシス®︎はからだをリスペクトするための長い物語。
「長くて難しい」って言われるけど、これからはそんなふうに伝えてみようかな、と思ってます。
ぜひサポートしてください。 まだまだ日本では馴染みの薄いジャイロトニック®︎、ジャイロキネシス®︎を通じて、楽しくすこやかに生きる人たちのサポートをできるように使わせていただきます。