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私が焦るのをやめた理由

やらなければいけないこと、というものがあると人は焦る。

もしくは人に「早くやって」と言われたり、直接言われなくても「早くやらなくては」とプレッシャーを感じていたら人は焦る。

私は特に、勝手にひとりで焦ってパニックになるきらいがある。

「あれもやらなきゃ、でもこれもやらなきゃ」
「いやいやこっちが先だ」
「待てよ、それよりあっちが優先だ」

そんなセリフたちが頭の中で大量発生し、大渋滞を起こす。

大渋滞を起こした結果、なにから手をつけていいかわからなくなり、フリーズしてしまう。

パソコンがフリーズするのと同じように、突然、体も思考もすべてが動きを止めてしまうのだ。


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焦っていいことなんて、何ひとつない。

そう気づいたのは、ごく最近のことだ。

焦る癖というのは昔からあって、そのままパニックに陥るところまでがお決まりのパターンだった。

でも、それをやってしまうと、何も進まなくなってしまうのだ。かえって効率が悪い。

体や思考が止まっている時間がもったいないし、焦ってワタワタとしている間は、実は何もできていないのだ。

無駄にうろうろ動き回ったり独り言をつぶやいたり部屋の中を散らかしてしまったり…なんなら余計な手間を増やしているだけとも言える。

さらに悪いことに、焦りは人を不快にする。

焦っている自分自身が気持ちよくないのはもちろんだけれど、焦っている私を見ている周囲の人の気持ちさえも刺々しくさせてしまう。

おそらく友人にもそういう姿を見せて不快にさせたことがあるし、家でいつも一緒にいる夫もそうだ。私が焦っていると、心なしか、周りの人の語気が強くなっていく。

これは、非常によろしくない。

自分ひとりで不快になるならまだしも、周囲の人を自分のせいで不快にさせるのは、大人のやることではない。

「焦る」というのはおそらく、「怒る」とか「不機嫌になる」のと同じような行為なのだと思う。


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人は、生きていればどうしても焦ってしまうシーンに出くわす。

最近はそんなシーンで、一呼吸置いて、あえてゆっくり動くようにしている。

ゆっくり動くと、精神的に落ち着くのだ。心にちょっとだけ余裕が生まれる。

余裕なんか、決してない。

それでも「焦っていいことはない」と自分に言い聞かせ、焦らない自分でいるために、あえてゆっくり動くのだ。

不思議なもので、心に余裕が生まれると思考も整理されていく。何をすべきなのかが見えるようになる。落ち込まなくて済むようになるし、当然パニックになってフリーズすることもない。

周りの人からどう見えるかはわからない。「ちょっと焦ってくれよ」と思われるかもしれない。

でも「焦っている」ことに意味はなくて、「やるべきことを効率よくスピーディーにやる」ことが目的なのだとわかっていれば、それでいいのだと思う。

焦らない。

それが私がもっとも効率よく動ける方法だと気付いたから、私は焦るのをやめたのだった。


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