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世話焼きで心配性な母が、長崎から京都まで飛んできてくれた話

「お母さん、今京都向かってるからね」

母からのLINEに気づいたのは、送られてきて30分ほど経った頃。私は高熱にうなされながら、病院で点滴を打ってもらっていた。

まさか、母がこちらに来るという決断をするなんて、想像もしていなかった。

でもそのLINEを見て、「あぁやっぱりお母さんだな」と心底安心したのを覚えている。


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私の実家は九州の西の端、長崎県。新幹線も通っていないし、私が住んでいた街は“田舎”と呼んでも異論はないだろう。

街の一番大きな駅から特急電車乗り、福岡まで出て新幹線に乗れば京都へアクセスできる。駅から駅までで、片道約5時間。遠い道のりだ。

そう簡単に行き来できる距離ではない。新幹線代だって馬鹿にならない。

それでも母は、私が体調を崩したことをLINEで伝えると、点滴を打ってもらっていると知らずに音信不通となった娘を心配して、京都へ向かう決意をした。

まだ現役で働いているので、仕事は早めに切り上げたのだろう。次の日も休むことにしたはずだ。なかなか熱の下がらない娘を見かねて結果的に3泊ほど滞在した母だけれど、はじめは1泊で帰るつもりだったらしい。

たった1泊のために往復何万円もかけて(私は母子家庭なので、家計には全く余裕がない)、仕事も休んで、私の看病をするためだけに、長崎から遠路はるばる飛んできてくれた…ということである。

「親バカ」と言われるかもしれない、「甘すぎる」と言われるかもしれない。

でも私は、入院することになったわけだけれど、母が来てくれてとても安心した。

入院しているので、直接的に何かをしてもらうわけではない。ただ、なんでもないような顔をした母が「それくらい大丈夫よ」「早く治さんばね」と声をかけてくれるだけで、気持ちを強く持てたのだ。


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私が帰省するたび、母は「せめて福岡くらいだったらすぐに飛んで行けるのにねぇ」とこぼす。

実家を20歳で出て以降、母は何度か私のところを訪ねている。しかしそのほとんどが、引越しを手伝うためか看病のためである。

周りに知り合いのいない土地で一人で暮らすというのは、不安だらけだ。そしてそれは、送り出した親にとっても同じなのだろう。

私にはまだ子供がいないので親心を理解するのは難しい。32歳になった今も、まだ子供の立場でしかものを言えない。

でもきっと、子供のことはいつまでも心配なんだろう。


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母にはよく怒られたし、反抗もしたし、弟との扱いの差に不服を感じていたこともある。

実家を出たときは、「これで干渉されなくて済む」と少しスッキリした気持ちになったのも正直なところだ。

見た目も声もそっくりと言われる私たちだけれど、私はいつもちょっと反抗的だったし、決して「仲のいい親子」という感じではなかったと思う。

でもやっぱり親子なのだ。家族なのだ。切っても切れない縁がある。DNAは繋がっているし、間違いなく私は母のお腹から生まれてきた。

いつまでも元気でいる、ということは難しいんだけれど、母にはいつまでも元気でいてほしいなと思う。


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