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この世界にあと何回「おはよう」と言えるだろうか。

6月18日月曜日、朝7時58分。ガタガタガタと部屋が揺れた。

それと同時に、スマホから「地震です、地震です」と繰り返す警告音が流れた。こんなに揺れとぴったりのタイミングで流れるものなのか、とどうでもいいことが頭をよぎる。

これまで経験したことのない揺れに、「この地震はまずいかもしれない」と思い、着の身着のまま部屋の外に飛び出した。

家に帰り着いてすぐの出来事だった。夜行バスでうまく眠ることができなかった私は、全身の気だるさを一刻も早く洗い流したくてシャワーを浴びようとしていた。

そんな気持ちは、すっかり吹き飛んでしまった。

真っ先にスマホからツイッターを開く。検索画面で「地震」の二文字を打つと、多くのツイートが表示される。やはり揺れたらしい。

私がツイッターでフォローしているのも、関西圏に住んでいる人が多い。みんな一様に「揺れた」「地震だ」とつぶやいている。とりあえず生きているようで安心した。

テレビをつけると、テレビ局内が揺れる映像が流れていた。大阪が震源地で、私が感じた揺れよりもっと大きい揺れが起こったのだということを知った。

シャワーを浴びているときにもっと大きな地震がきたらどうしよう。泡まみれの状態で外に飛び出すんだろうか。そんなことを考えながらシャワーを浴びた。

 * * *

この日は、少し休もうと思っていた。旅行の荷物を片付けたり、部屋の掃除をしたり、溜まっていたタスクを消化したり…そんなことをする予定だった。

朝の地震によって、その予定は崩れた。部屋の押入れにしまいこんでいた避難用リュックを引っぱり出して中身を確認すると、どれもこれも賞味期限切れだった。ツナ缶でさえ、もう3年も前に期限を迎えていた。

避難用リュックは、3.11の大震災が起こって以降常備していた。といっても、中身のチェックを怠っていたため、結局こんなタイミングで買い出しに行く羽目になるのだけれど。

缶詰を少しとカロリーメイト3箱、そして2Lの水のペットボトルを1本買った。リュックに入れることを考えたら、その程度で十分だった。(実際には全然足りない)

夕方には、仕事の打ち合わせがあって街に出た。京都は平和な顔をしていた。人々はいつもと同じ様子で街を歩いていたし、相変わらず景観が美しかった。バスも地下鉄も通常運転であることに感謝した。

偶然京都に来ていた友人が、京都駅で足止めを食らっていることを知り、打ち合わせが終わってすぐに駅へ向かう。駅構内で目にしたのは、途方にくれて疲れ果てた人々。地震の影響は大きかった。

落ち合った友人らも一様に疲れていた。本来ならすでに帰っているはずだった彼らは、地震が起きるなんてつゆほども思わず京都に残ってしまったらしい。天災は、忘れた頃にやってくる。

彼らのその後の動きが決まった(一人だけまた京都に残ることになった)ところで、解散した。

 * * *

私は、非常事態にめっぽう弱い。ちょっとした揺れが、心を大きくかき乱す。余震が続いていることに不安を感じ、なかなか眠れなかった。ベッドの近くに置いていたスタンドミラーを移動させ、枕元にスニーカーを置いた。

いつでも逃げられるよう、外に出る覚悟をして眠りにつく。

 * * *

朝、再び余震を感じた。心臓が飛び跳ねる。しばらく動悸がおさまらない。

今週はワークショップをやる予定だけど、それは本当に実現するんだろうか?来月頭に名古屋に行く予定だけど、本当に行けるんだろうか?「またね」と言って別れた友人には、本当にまた会えるんだろうか?

考えても仕方のないことをぐるぐると考えては、自分で自分の不安を煽る。

だけど、これから向かう先は会いたい人の元ではない。いつもの日常。陶芸をするために、工房へ向かう。何かが起こるまでは、何もなかったように過ごす以外にできない。だって、何も起こってないのだから。

 * * *

私が陶芸をしているところは、窯元といって、いわゆる100年以上続く「やきもの屋さん」だ。当然のように、陶器がそこら中に転がっている。地震の影響がないわけがなかった。数は多くなかったけれど、いくつかの陶器が割れていた。窯の中で焼かれていた器たちは、ちょうど釉薬が溶けている最中に揺れてしまったようで、隣同士で溶着してしまっていた。

自分の器が一つも割れなかったことを、奇跡だと思った。

 * * *

スーパーに行っても、コンビニに行っても、ドラッグストアに行っても、2Lの水のペットボトルが売り切れていた。不安に思った人々が買ったのだろう。レジ横に「お一人2本まで」と書かれた貼り紙が置いてあった。よく見ると、「お一人」の部分に二重線が引かれ、その上に「一家族」と書き直されていた。生々しい、と思った。

買い占めたくなる気持ちはわかる。守らなければいけない家族がいるならなおさらだ。私にはそんな人はいない。だったら私は水など買わずに、一人喉をカラカラにしていた方がいいんじゃないだろうか。

守りたい人がいる人に譲ろうと思った。

 * * *

地震が起こる前日、私はキラキラ輝く東京にいた。

楽しい日々だった。たくさんの人に会えたし、たくさんの嬉しい言葉をかけてもらったし、たくさんの学びを得た。すごい場所だと思った。魔法にかけられたみたいだった。

東京で会った大好きな人たちと、また会いたいと思ったし、当然のように「会えるはず」だと思った。一年後に東京へ行く自分を想像したらワクワクした。その頃にはきっと私の立つステージも少しだけ変わっているはずだ、と。

高揚感に包まれた東京での日々を思いながら夜行バスに揺られていた。夜行バスが京都についた瞬間、その魔法はとけたのかもしれない。

 * * *

「明日死ぬかもしれない」

そう思ったら、後悔しない人生を送るために何ができるだろうかと考えてしまう。今すぐやるべきことは何だろうか、と。

だけど、私は案外後悔しないかもしれないなと思った。サラリーマンを辞めて以来、好きなことをして生き、尊敬する人たちと出会い、成長し続ける自分を好きになり、明日が来るのが楽しみになった。

今さら慌てて何かをしようとしなくてもいいじゃないか。そう思った。だって私、やりたいことやってるもん。

人が後悔するのは「もう一度やりたいと思ったことができなかった」ことより「やろうと思っていたのに一度も実現できなかった」ということのほうじゃないだろうか。一度やって楽しかったことは、確かにもう一度やれたら嬉しい。でもそれは「命が続くならば」だ。

そう思えば、私はいろんなことをやってきた。今思いつく「やらないと後悔すること」はほとんどない気がする。

もし明日世界が終わると決まっても、私はいつもと同じ日々を過ごす気がする。この瞬間がいつも、私の精一杯だから。

 * * *

そうして今日も、家に帰ってカギを開ける瞬間「何も起こらなくてよかった」と胸をなでおろす。

寝る前には、スタンドミラーを移動させて枕元にスニーカーを準備する。避難用バッグと、普段使っているリュックを持って、いつでも逃げられるような格好で眠りにつく。

目を覚ましていつもと同じ光景に「おはよう」と言い、寝ぼけたまま顔を洗う朝をあと何度迎えられるのか、誰にもわからない。

それでも私は、今この瞬間にできることを淡々とやっていくしかない。いつ訪れるかわからない死の不安を抱えたまま、顔を上げて「今」を積み重ねていく以外に、後悔しない方法なんてないと思うから。


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