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自分を支えていた柱がなくなるということ。

9月になった。ブログにも書いたけれど、9月1日からいよいよ無職になった。

「無職になった」という言い方をしている時点ですでに自虐気味であることは認識しているけれど、それは私を支えていた柱が急にすぽんと抜けてしまったからだろう。

そう、「会社」という存在が私の心のど真ん中に陣取って柱となっていたのだ。

これまでの道は、いわゆる世の中のスタンダードで、誰にどう話しても違和感なく聞いてもらえるような道のり。とんとんと学校を進み、ストレートで入社。そのまま9年働いてきた。

社会に出るまでは、親や学校が自分の支えとなっていた。就職してからは、会社が私を支えていた。無意識のうちに。

本来、社会人たるもの自分で自分の責任を負うべきだし、一般社会にもそういう文化が浸透している。(法律とか選挙とか)

でもサラリーマンは、年金や税金といった社会保険の手続きもすべて負ってくれていたし、そもそも正社員として働いているという事実が、様々な場面で免罪符になっていた。

何かの手続きには正社員なのかそうじゃないのかを書かされたし、初対面の人たちには自分の名前より会社名を先に覚えられた。

会社の一員として勤めていること、それ自体が私の肩書きになっていたし、私の生活全般を(経済的な意味も含めて)支えてくれていた。

そのことに、退職してから気付いた。

もちろん、色んな手続きが発生することや健康保険料の負担が増えることなんかは調べて知っていたし覚悟もしていた。そこは大きな問題ではなかった。

問題は、私の心だ。

先月までは有休消化ということで、全く仕事はしていないけれどギリギリ会社の一員だった。それが9月からは無職になってしまった。職業:無職。

私を支えていた柱が抜けて、当然のように心許なくなった。こんなにも支えになっていたことに気付かなかった私もどうかと思うが、あまりに長く一体化しすぎていて意識することさえできなくなっていた。

辞めた後の生活は、自分で計画立てて道を歩いていかなければならないし、経済的にも自立していなければならない。それが、途中でレールを外れた社会人が最低限やるべきことだ。

頭では、分かっていた。こんな風に生きていきたい、こんなことがやりたいという思いもある。計画も考えている。そしてそういったことを考えるのは楽しい。

だけどあまりに重い「自分への責任」に、ちょっと押しつぶされそうになった。退職の意思を告げた日から今日まで色々あったけれど、踏ん張ってきた。私なら踏ん張れると思っていた。

そんな無意識の緊張状態が続いていたから、心がちょっと疲れてきていたのかもしれない。これまでだって既に辞めた状態だったのに、それが「正式に」となった途端に不安に襲われるなんて。

不安が先行していては、楽しめるものも楽しめなくなる。分かっているけれど、そんなこと頭で理解したからといって心が言うこと聞いてくれるわけがない。

当面はこの不安と付き合っていくしかないんだろうな。そして、今いる場所でできることをやっていくしかない。一歩ずつ。前へ。

 * * *

ブログにはいつも気丈なことを書いているけれど、あんなものは私自身を鼓舞するためのものに過ぎない。ああやって文章にして公開することで、パブリック・コミットメントを図っているのだ。

やりたいことをやるために仕事を辞めた私に「すごいね」「勇気あるね」と声をかけてくれた人たちがいるけれど、私は全然すごくないし勇気があるわけでもない。ただ道を変えたかったから変えた、それだけだ。

相変わらず私は弱いし、ちょっとしたことで不安定になる。泣くし、イライラもする。でも、自分で決めたことだから後悔はない。これだけは、本当。

だからどれだけ不安になっても、それを付き合いながら進んでいくしかないと思っている。私には、そういうやり方しかできないから。

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