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東京に8年間暮らしてよかったこと、課題だったこと

3年ほど前まで東京に暮らしていた。家族が転職して地方移住した今も東京は好きだし時々懐かしくなるけれど、東京にいたころより充実している部分もあるので、今のところ帰りたくなってはいない。

この記事では、就職をきっかけに東京で8年間暮らしたわたしが、東京暮らしのよかったことと課題だったことを整理してみたものである。

 

東京暮らしのよかったこと

 

「最先端」の近くで暮らせているという幸福感

それほど流行に敏感なほうではないのだが、日本の首都で、しかも話題の店やイベント、アートや音楽、ファッションなどの時代の最先端が(目にしていたものが本当に最先端だったのかどうかは別として)常に身近にある環境で暮らせることに対して、大きな幸福感を抱いていた。その幸福感を手放さないためなら、多少の我慢は仕方ないことだと思っていた。

 

友人知人に出会えた

全国から集まった様々な方々と知り合うことができた。今なお連絡を取り合っている人たちも少なくない。実は、夫と知り合うことができたのも東京にいたおかげだ。夫は関東出身だが、ゆえあって就職まで大阪を拠点に生活しており、そのため東京暮らしのわたしとは出会わない可能性もあった。しかし旅行で上京した機会にたまたま知り合ったことが結婚に繋がった。東京の求心力が功を奏したと言えるのかもしれない。

 

調べものがしやすかった

気になることがあるとすぐに本や資料などを取り寄せて調べる質だ。学生時代から国立国会図書館は特にお気に入りの場所で、度々入り浸っては何時間でも黙々と本をめくっていた。今でもネットを駆使すればPDF化された論文などがすぐに読めてしまうが、それでもデジタル化されていない資料を読むためには、写しを取り寄せる、自分で購入するなどする必要がある。一方で、制約がないと食事や睡眠時間を削ってでも調べものに費やしてしまうので、不便なくらいのほうが歯止めがかかっていいのかもしれない。

 

正社員を経験できた

学生時代から憧れていた仕事は、どちらかというと狭き門のほうだったから、わたしのようなあまり器用でない人間が選考を勝ち抜き正社員として採用されたのは、何より東京がチャンスの多い場所だったからだと思っている。また、正社員で働いていたからこそ、うつ病休職中も一定期間傷病休暇の制度が使えたし、ある程度貯金をすることもできた。貯金は休職中や退職後、そして地方移住後の今も支えにもなっている(現在は減る一方だが)。

 

相性のよいメンタルクリニックやリワーク施設があった

上で書いたとおり、正社員時代にはうつ病を患って足掛け9ヶ月ほど休職していた。無事復帰することができ、今のところ再発もせずに過ごせているのは、もちろん会社での配慮もあったからなのだが、相性のよいメンタルクリニックに出会えたことは大きかったと思う。東京には医療機関がたくさんあり、したがって当たり外れも多いが、いいお医者さんに出会う確率もあがるのではないだろうか。わたしは最初に受診したクリニックが運良く「当たり」だった。また、うつ病等を原因とする休職者のための復職支援を行うリワーク施設に通うことができたのも幸運だった。地方移住後、睡眠に関する相談のため一度とある心療内科を受診したことがあるのだが、お世辞にも信用に値する病院とは言い難く、かかりつけにはなり得なかった。評判のいいクリニックは数ヵ月の予約待ちが普通で、リワーク施設も東京のレベルには程遠そうだ。

 

東京に対する憧れがなくなった

テレビを見ていると、東京のデパ地下スイーツや話題のカフェなどがよく出てくる。美味しそうだなあ、行ってみたいなあとは思うものの、強い感情は起こらないし、そのために東京へ行こうとか、地方での暮らしが嫌だとまでは思わない。東京で話題の、とはいっても、ほとんどのものは新しくまだ珍しいというだけでたかが知れているし、地方にも美味しいものやおしゃれなカフェはたくさんあり(キツネとブドウ、なのだろうか)、そのうち似たようなものが地方にも現れるからだ。いやらしいと思われるかもしれないが、数年前まで東京に住んでいて土地勘もあるという自負や誇りが東京への憧れを抑制している面も大きいと思う。だからといって、いわゆる「東京風」を吹かせて地方を見下すようなことはしたくない。月日が経つにつれ東京もどんどん変わっていくだろうから、わたしが知らないことも増えてゆくはずだ。知ったかぶりをしてしまわないように…。我が家にはもうすぐ1歳になる子供がいる。彼はこれから地方で幼少期を過ごし、東京や大阪といった大都市を知らずに育ってゆくことになる。子供に東京の思い出を話してあげる時がきたらどんなふうに語ろうか、最近よく考えている。

 

東京暮らしで課題だったこと

 

混雑、物価

今思えば、平日、土日問わず、基本的にどこでも人が多いところだった。人混みをうまく切り抜け、例え混雑していても出掛けてこそ都会に生きる人間、と胸を張っていた時期もあるが、今は混雑が嫌で土日はなるべく出掛けたくないくらいなので、一頃のような気概はない。また、食べ物や生活用品を買うにも、外食するにも、とにかくお金がかかっていた。誘惑が多かったせいもあるだろうが、基本的な生活を送るだけでお金が減ってしまうのはこたえる。仕事をやめたあとも東京に住み続けていたら、今よりもずっと早いペースで貯金がなくなっていったのではないかと思う。

 

積極的に子育てしようと思える環境ではなかった

将来子供を持つことについて前向きに考えられなかった。うつ病経験後の心と身体で本当に子育てができるのか不安だったし、会社は妊娠出産や育児について無理解なように見えたからだ。非正規雇用だった夫も通勤時間の長さに疲れきっており、子育てについて具体的な話しをする機会もほとんどなかったように思う。しかも待機児童が大きな問題になっているとあっては、東京で子育てすることは「無理ゲー」でしかなかった。また、夫が「地方に住んでみたい、子育てするならそういうところで」と言っていたこともあり、夫をその気にさせるには環境を変えなくてはならないのかなという思いはずっとあった。

 

これまでと違う生き方をしようという強い意志が生まれなかった

学生時代は電車で2時間ほどかけて都内へ通学していたので、都内で一人暮らしを始めたのは就職後のことだった。とはいえ、滞在中は一切お金がかからないし帰りに食糧ももらえて節約になるため、実家へは頻繁に帰っていた。だから、実家との関係、特に母とのつながりは非常に濃かった。毎日帰宅したら必ず母に連絡していたし、楽しかったことや嫌だったこと、仕事の悩みの相談はもちろん、体調の変化も母に報告していた。当時はそうすることに何の疑いも迷いもなかったのだ。一人暮らしだったのに、心や体は実家に置いてきたままだったのだと思う。また、小さいころから「就職したら一人暮らしをするように」と言い聞かせ自立を促しながら育ててきた母も、一人暮らし経験がなかった自分の夢を娘に託していた部分があり、その結果、就職後も実家との強いつながりを保つ自分の人生を娘にもなぞらせることになったのではないだろうか。仕事でうつ病になるまで、実家にいた頃とは違う考え方をしてみよう、これまでと違う生き方をしようという強い意志は生まれなかった。

 

東京で生きていく人生しか描けていなかった

前項とも関連するが、東京に仕事と住む場所を持ち、東京で生きてゆくことをゴールに設定していたため、東京で就職し一人暮らしを始めた時点で、わたしの人生双六はほぼ「あがり」だった。後は「あがり」を維持するべく努力し続ければよかったのだ。しかし、病気になったり、地方移住したりした今振り返ってみると、東京以外の場所で暮らす可能性についてもう少し想像してみればよかったと思う。具体的には、副業をしたり、ボランティアに取り組んだり、資格取得したりしながら、守備範囲を広げ正社員時代とは違う働き方もできるようにしておけばよかった。また、学生時代に「持っていればいつか役に立つかもしれないから」と両親にすすめられ教員免許を取得しているが、宝の持ち腐れのままここまできてしまった。例え教壇には立たなくとも、資格を活かして学校サポーターなどとして働き、教育現場の生の空気に触れる機会を作っておけばよかった。移住するか否かに関わらず「生き方はひとつではない」と常に意識しておいたほうが良いのだと思う。

 

選択肢が多すぎて動けなかった


上記とは矛盾するが、仕事にせよ、アルバイトにせよ、ボランティアにせよ、選択肢や機会が多かったからこそ「いつでもできる」と思っているうちに手を出せず終わってしまった。そしてこれは何も仕事に限ったことではない。一人暮らしをしていた頃から東京やその近郊には気になる場所がたくさんあり、ノートやスマホの地図にメモしていたが、いつでも行けると思っていた。地方移住が決まってからそのうちのいくつかには足を運んだが、感染症の流行もありほとんど行けずじまいである。これからの人生は「気になったらすぐやってみる、すぐ行ってみる」ことをモットーにしていきたい。もし今、東京や大阪のような大きな都市に住んでいる人がいたら、気になる場所やイベントにはどんどん足を運んでみてほしい。

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