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【日記】みんな被災者

能登半島の地震から一週間が経ち、まだ100人以上の人が安否不明だ。早く見つかってほしいと思う。
そしてそろそろ混乱が落ち着いて、被災地では復旧に向かって次の段階に入ってくると思う。
それと同時に被災者や支援者からの不満が噴き出してくる。東日本大震災の時はそうだった。そしてその矛先は言いやすいところに向けられる。
それが自治体だ。市町村役場の職員の人たちがその矢面に立たされる。
食料が足りない、物資が足りない、避難所の環境が悪い、仮設住宅が狭い、寒い、暑い……。
被災者は先の見えない状況に疲れ、苛立ち、支援者はそんな被災者の力になりたいと思う。東日本大震災では、そうした怒りが役場の職員に向けられたところも少なくない。
とあるNPOの会長はあるフォーラムで、お婆さんが住む仮設住宅の玄関チャイムが壊れていることに気がついて、役所に連絡して交換させたと、たったそれだけのことを「ここ、拍手するところですよね?」なんて自慢するように言っていた。
多くの役所で災害担当の職員はわずかな人数でまわしていたし、今回もそうなると思う。その職員たちが心ない言葉を浴びせられる…。
東日本大震災では、心を病んで退職した職員もいる。
震災によって普段とは違う業務にあたり、神経も体力もすり減らすと考えれば、自治体職員も被災者なんです。
中には家族を亡くしたり、家が全壊したりという被害を受けた職員もいるはず。

被災者といえば、日本全国はもとより、世界中で心を痛めている人たちも被災者です。
東日本大震災では、そうした心の痛みを癒すために、毎週末被災地に訪れ、泥かきなどのボランティアに従事したたくさんの人たちがいました。
今回も次の段階に入れば、そうした人たちが被災地に向かうでしょう。
ボクもある港町の人たちと知り合い、補助金や支援金を集めて、流された獅子舞の再製作や神社の復旧に関わりました。
その活動の中で、たくさんの被災者やボランティアの人たち、自治体職員の人たちと話をしました。
その中で、石巻で出会ったお婆さんの言ったことが忘れられません。
「みんな、仮設住宅が狭いだの寒いだのと文句ばっかり言うけどね、私はありがたいと思っているよ。誰の責任でもないのにこうして家を用意してもらって、テレビや冷蔵庫、洗濯機だけじゃなく鍋から爪切りまで99品目も用意してもらったんだよ。これで文句言ったらバチが当たる」

もう一度言いますが、きっとこれから不満や不安が吹き出してきます。
だけど、どうかお互い感謝しあって、助け合って、温かい気持ちが被災地に溢れることを願います。
ボクも自分のできる範囲で支援をしていきたいと思います。

下の写真は、2011年4月、東日本大震災後の女川町に物資支援で訪れたときのもの。今でも忘れられません。



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