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語らないものが語るもの

昨日、通りがかりに見つけた安田菜津紀さんの写真展。そして今日お母さんのチケットをもらって見に行ったミッドナイトトラベラー。なんだかこの2つのものに触れて似たような感情を抱いたから言葉にしてみる。

戦争がない日常を当たり前だと思いがちなこの頃、平和ボケという言葉をよく聞く。だけどぼくは戦争を経験したわけではないからボケて忘れてるんじゃない。本当にしらない。

だからこそ、本当は自分の近くにあるけど知らない、見えてない現実に触れることは、人権を考えるにも、平和を考えるにも、大切な一歩だと思う。

ただそこで、こういう現実がある、こういう人たちがいるという情報に加えて、だからあなたはこう思うべきだとかいう言葉が加わると、どこか腑に落とそうとも落ちない部分がある。

ミッドナイトトラベラーは、現実を映し出すだけのドキュメンタリー映画だった。昨日見た安田菜津紀さんの写真展も、ひとつの現実を捉えた平面の写真に、立体感を出す言葉が少し添えられているだけだった。あまり何も語らないようで、すごく語りかけられているようだった。

この2つには、正しさの押し付けがないというところにひとつの共通点を感じた。ある情報を自分に取り入れるとき、そこに相手が伝えようとした言葉や正しさを介するとそれは脳に届く。

一方である情報を自分が自由に眺めて受け取ったとき、それは心に届く。今日行った日本民藝館の展示物には説明が少なかった。パンフレットを読むと「それは知識でものを見るのではなく、直感の力で見ることが何よりも肝要であるという、柳の見識によるものです」と書いてあった。これもどこかつながるところがありそうだ。

心が動かされて自分の想いがうまれて、言葉になって、行動になっていく。そんな、自分の心を起点にした行動の一歩になるような情報に出会うことが、いい学びだと思う。人って言葉より感情で動くし。なんか今出てきた言葉を綴ったにしては偉そうなこと言っちゃったけど、それでよかっちゃないかな。

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