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私の中で今も生きている言葉。

ジュエリーデザイナーのUKです。

父はジュエリー職人で、母はパッチワークの作家。

ジュエリーの道へ進むきっかけは

父親であることは間違いないが

祖父の影響は計り知れないものがあると思う。


祖父は絵画や骨董品のコレクターでありながら、

自身も水墨画の個展を開催するなど

日常からジュエリーやアートが混在する家系であったことは

結果的に今の自分が目標としていることに通じていると思う。


祖父はコレクターとして贔屓にしていた木村忠太の作品を

日本で一1番コレクションしていた人物でもある。

※木村忠太 フランスで活躍した洋画家・サロン・ドートンヌ会員。

フランス政府からフランス芸術文化省や芸術文芸騎士勲章を贈られ

作品はパリ国立近代美術館にも収められている。

高額なものだと家が何個買えるのか?ってものもありました。

また工芸の世界にも通じているひとで

陶芸家の辻清明・人間国宝の富岡憲吉・濱田庄司とも仲が良かった。

その親交の深かった仲間の作品や

工芸の世界をあまり知らいない人でも知っている

魯山人の作品なども数多く所有していた。

特に祖父は宇宙人みたいな人で

(実際に自分の作家名は宇宙の人を意味し、宇ン人と名乗っていた)

見た目はカーネルサンダースと瓜ふたつでありながら

(ほんとにそっくり。眼鏡もひげも。そして杖も??)

破天荒にもほどがあり、

買い物ついでに山を購入してくるような人。

(頭おかしい人だ。今思うと面白い)

人を喜ばせるのが好きで

家に芸妓さんを呼んで、客人をもてなしたりするような人であった。

普段は無口で、焼酎に梅干を入れては

箸でコロコロ転がしている姿が思い出される。

(梅干しってそうゆう風に食すのね。って思ったものだ)


破天荒で周りを振り回したことが、良くなかったのか

あまり詳しくかけないが、不動産の事業が失敗して桁違いの借金を

背負うことにもなった。

(その他にも色々とあったみたい)


凄いエピソードを他にも沢山もった祖父だったが、

自分の子供の中では特に母を愛し、

そして私の父も可愛がってくれていた。

孫の中で一番、年下だった私のことも

一番可愛がって接してくれたことを思い出す。


そんな祖父が癌で他界したのは私が高校1年のとき。

祖父が危篤状態である知らせを聞き、

父が運転する車に飛び乗り、私は病院に向かった。

病院に着いた時にはすでに祖父は衰弱しきって、おそらく目の前にいる人たちが誰なのか、分かっていない状態だったのではないかと思う。

「UKがきたよ!」と誰かが祖父に言った。


祖父は意識が朦朧としている中で、その一線を越える前に

私に何か訴えようとしていることが、

私にもわかった。

私は祖父の傍に行き、“ 何か ” を言おうとしている祖父の口に耳を当てた。


私にしか聞こえないほどの小さな声で

こう言ったのだ。


「おまえは父親と同じ道に進みなさい」


「・・・・・」


次の瞬間に

心電図に映し出された波形は一本の平坦で

表情が一切感じられない無機質なただの箱と化した。


それが祖父の最後の言葉だった。


この瞬間にジュエリーデザイナーの道を確信したかというと

実はそうでもないのだけど。。。

破天荒の度が過ぎて、問題しか結果的に

残さなかったような祖父であるが、


“ 父親と同じ道に進みなさい ”

という言葉は

“ 迷う必要なんてない ”


という思い込みを私の脳に植え付け

今も私の中に生きている言葉だ。


UK

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