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さだめのようなもの

 寒波が来たらしい。らしいというのは、あえてこの瞬間だけ、他人事を装いたいからだ。

 文字通り寝込んでしまう程に紫外線と暑さには弱いが、私は元来寒さに強いほうだと思う。スキーウェアのような防風装備があれば、屋外での活動はそこまで苦にはならない。しかし流石に、今回ばかりは少々参った。主に人為的要因が多く割合を占める理由だからかもしれない。

 観測地点での気温が-4℃と表記されているが、ここに我が家特有の強風(平均8m/s、今回は最大で19m/s)がほぼ昼夜問わず2日に渡り吹き荒れた。毎年のことであるが、ここに今回の低温が加わり体感気温と呼ばれるものは風の影響でだいたい-12℃になる。軽く冷凍庫であるし、ライフラインの凍結は容易に考えられる気温だ。それに学生時時代から雪の民であるので給湯、給水管などの凍結対策は心得ていたし今回も例外なく対応したつもりだった。

 エラー290。給湯操作パネルに知らない数字。冬の相棒「お風呂」を沸かそうとしたとき、その表示を出したまま給湯器がやる気をなくした。数分前までキッチンではお湯を利用していたのだから、原因は給水管の凍結ではないはず。コタツに入りながら「湯が出ぬ」と一言、出入りをされると寒いなどと文句だけを言う不満満タンな母親を哀れな目で見ながら、強風吹き荒れる極寒の外で応急処置を行った。どうやら中和器から繋がっているドレン管の凍結、もしくは基盤のエラーが原因とのこと(いんたーねっとべんり)。

 都市ガスを利用した給湯器であるから、不用意な処置は事故の元であるし吹雪の夜で視界も悪いので、自分で出来る処置は管の解凍と限られている。ドレン管を確認すると、凍結しやすいと言われていた機器の出口付近はオマケ程度に保温チューブが巻かれていたが、その下から地面に伸びる部分は素っ裸の塩ビ管である。2mでも500円という安さなのだから、全部に保護チューブを巻くべきだと思うのだが、ここの家主はどうもそういった知識はない上に、興味も無くトラブルが起きたときだけヒステリーになるだけの生き物なので難しいだろう。施工後の確認や要望を出すにもある程度調査と知識がいるものだ。それにしてもこの寒そうな塩ビ管を見ていたら友人とよく話している「全裸中年男性」みたいな単語を思い出した。全裸、やっぱり寒いと思う。

 残念ながら、その夜は解決せず。ドレン管にタオルを巻き付けながら60℃程度の湯をかけてみるが強風のせいかあまり効果がなく、せいぜい温かいのは2,3分程度である。ビニール袋などで防風してみるものの途中で面倒になってしまった。基板に問題があったり他の箇所が問題の場合はこの処置は無意味だし、やめる。それでも2時間ほど頑張ったが流石に身体は冷えた。

 その翌日は、更に30㎝積もった雪を除雪しながら車を出し出勤する。道は凍結、その上時々モーグルコースのような「こぶ」がランダムに設置されている状態だ。この状況下でのハンドル操作はそれなりに心得ているものの、基本的に車の直進性は普段よりも低下している。路面状況によっては急に対向車線に飛び出してしまうこともあるので大変神経を使うのだ。ゲームやスキーのように前もって危険な箇所がわかる「コース」なら良いが、こればかりはGoogleマップの交通状況で予測するしかないのである(普段より低速表示であれば、事故及び路面状況が悪いと推測できる)。

 脳内でなにかがキレた。何故こんな目にあうのだろうと悶々としていたこともあるが、風呂に入れないことに加え理不尽な対応に「精神汚染がマジマッハすぎてもう無理すぎて草も枯れるどころか樹氷」という日本語が誕生してしまい、気がついたらホテルを予約していた。かんがえるなかんじろ。じんるいは ネットスラングで かいわしてほしい。

 とりあえず翌日も「出勤という業務」があるので、家から僅か15分程度にある駅前の古くからあるビジネスホテルにした。設備の新しいホテルも沢山あったのだが、客層を考えると今の私にはこちらがいい。「意味不明な感情由来の戯言をクォークレベルでも聞きたくない」という条件があったからだが、これは予想がうまくいったのか希望通りに叶った。

 年配のビジネスマン達がそれらしい話題、その上レンジが無駄に広い雑談を交えて食事をするなか(うちの上司達もこのくらいの雑談レベルなら楽しいのに)、熱々の釜飯を待ちながらひとり窓際に座って空から落ちてくるような雪を見ていた。家の前にある雪を見るとしんどいのに、窓から他人事のように見る黒い空間から湧き出てくるような雪は綺麗だ。これらは今私の行く手を阻むことなく、綺麗な姿だけを見せている。道に落ちて邪険にされるからあんなボコボコへと姿を変えてしまうのか、踏み固められたら雪も意固地にもなるかもしれない。つまり堕天使かそうか、と中二みたいなことを思う。

 「住居選択の自由があるんだから苦労も自己責任」「嫌なら引っ越せ」というような、誰でも思いつく解決案を提示する人間達を思い出した。人口差による発言力の強さ、印象、生存者バイアスもあるだろう、不便や苦労、それらが好きで住んでいる愚かな民に過ぎないのだと信じている人もいる。確かにいろいろな条件で選択肢が無意識に揃っていた人達、責任を持たぬ人には理解が厳しい部分はあるのだろう。人はいらぬ苦労話も、自分よりも生きる力が無い人間のことを想定し、考えるといった無駄なことはしない。自分の利益にもならぬことを知る必要がないからだ。言い換えれば人生においてコスパが悪い。しかし私は何度も地震によって破壊される墓を同じ土地で再建し続ける人達を知っているが、それは貧しくて愚かなのか。私にはそれらの行いから大切なものがあるということ、それ自体がとても眩しく見える。

 ぼーっと窓に顔を向けたまま微動だにしない私に、お店の人が興味深そうに「雪、降りますでしょ」と最高の笑顔で話しかけてきた。雪のない地域からの旅人と思われているんだろう、当然だ。近辺地域の人であれば恐らく
「見たくない」という態度が大半だろう。ただ私は雪がいつもと違って見える環境にいるのだから移動時間15分であろうと、この瞬間だけは旅人であることには多分、間違いはない。

 今起きていることには意味がある、最近はある程度その思考回路がわかるようになってきた。あの理不尽による精神汚染も、いつもと変わらぬ視点から自分を離すために必要なことだったかもしれない。通勤以外で外には出ず、生身の人間を見たり聞いたりすることが極端に少ないし、窓から景色を見ながらゆっくり食事をすることも皆無だ。家では通行人が気になって窓など見ない。私は納税と労働、お小遣い程度の細々とした貯蓄と投資だけは行う(それ以外の余力が少ない)社会的引き籠もりだ。

 私の理解できるということは言葉上の理解ではなく、経験から突然ひらめいたように腑に落ちるようなアレである。アレってなんだと言いたいところだが、言葉の解像度限界値がこの辺の模様だ。自分の考えている以上に格好良くなんて書けない。ともかく、これらは私の荒みきった環境に泉湧くが如く現れた多様なる豊かな会話のおかげでもある。

 それを踏まえて、先ほどから考えていること。それは「確かに人は一人では生きることが出来ない(困難)」という超普通なこと。一人というより単体での存在は実に脆いものといったほうがしっくりくるかもしれない。私の場合、自分自身は障害回避(問題を発生させないための備え)だけを考えていて冗長性や耐障害性を考慮していない生き方に近いのだが、これは実装に時間ばかりかかる割にはシステム的に脆い。本来ならそれらがバランス良く実装が出来ていれば結果として堅牢性にも繋がるはずで、要するにつよくなる。

 普段の社会生活において無駄そうなものがいざとなったら(様々な存在の危機的状況において)役に立つ、そんな無駄が大切なものだということは自分も学んだはずなのに、未だに気がつかないこともあるのは愚かなものだ。

 今、最も日本人が一番嫌いであろう「信仰」もそういうものなんじゃあないかと思う。だからインフラでも強固で巨大なバックボーンがあれば安心であると同じように、本来はとても大切にしたいものだった、そして今も大切にしている人がいることは自然なことで理にかなっている。実際に精神的インフラが整っている人は自分自身にも人にも誠実で強く、清々しい。

 難しく考えなくとも、信じるもの、大切なものがあるということはやはりいいものだ。それにやっぱり、自分自身のためにのみ生きてゆくのは確かに辛いかもしれない。今私が大切にしたいものはこんな自分とも交流も持ってくれる友人達で、私ができることはその友人達の幸福を祈ること。今日も明日もこれからも穏やかで幸せがありますように。

 余談だが、チェックアウト時に危うく「チェックメイトでお願いします」と伝えそうになり突然の勝利宣言をする危ない人になりかけた。中二病かな。

 今日もいつもどおり、意味がありげな雪が降る。どうか皆様、ご安全に。